ひとくち説法
2019年1月20日号
仏国土のイメージ
夕刻、お母さんの心には夕餉の品じなが浮かびます。家を新築しようとする家族の心にはモデルハウスなどから、想像が膨らみます。資金の目処をつけ、業者に依頼すれば、新居は実現します。
誰よりも世界平和を希求された日蓮聖人の御心には、法華経の本門虚空会をモデルに、その概要がすでにできていました。若し流刑地・佐渡島で、このまま命終すれば、後世の人びとが迷うからと、紙面に設計図を描き、『観心本尊抄』という仕様解説も認められたのです。健康で長生き・なるべく苦労せず楽に・縛られず・争わず穏やかに暮らしたい(四徳波羅蜜)の思いが、人類共通の願いです。その実現が、裟婆世界での浄土建設に他なりません。日蓮聖人はその棟梁として仕事を成就され、門下は意志を引き継ぎ、現代に伝灯を繋いでいます。平成の世の筈が、自然界・人間界は大きく揺れ動いています。「今こそ人類の柱・眼目・大船として、教団が機能を発揮する秋だろう」と仰せでしょう。(岩手県布教師会長・三浦恵伸)
2019年1月10日号
和顔愛語、忘己利他の心
病気で入院した時に、医師や看護師から微に入り細にわたってお世話になった。病状が病状なだけに心に不安があったが、看護師、介護士の和顔愛語に心救われた思いである。無愛想、気難しい顔で接せられたらどうだろう。快復するものも病状悪化になってしまうかもしれない。
大乗仏教の本宗は菩薩行を行じ菩薩に至れると説く。伝教大師は「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」と仰せである。自然災害の時などのボランティア活動の本質はまさに菩薩行であり、忘己利他の心そのものである。全国各地で僧侶も檀信徒も地球規模の自然災害で犠牲になった諸精霊に施餓鬼供養の誠を捧げている。宗祖は「先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と。自然災害などはいつ、どこであうか分からない。常日頃から和顔愛語、忘己利他の心を養っておきたい。亡き精霊に供養の誠を尽くし、被災者が早期復興、通常生活に戻れるように願っている。(山形県布教師会長・久松玄徳)
2019年1月1日号
「誰の迷惑もかけずに」(?)
表題のような物言いに接し、しばしばゲンナリする。「アナタ、誰の迷惑もかけずに生きてきたの?」とツッコミたい衝動を抑えて聞けば、そこには関わりを避けたい孤独の情景が広がる。
あるいは「世間さま」への痛ましい気遣いと低福祉社会の中で刷り込まれたものか。が、「迷惑をかけるヤツは許せない」に転じるとしたら、それこそ迷い・惑いの領域に突入してしまうのだ。
2年半前の相模原事件。「重複障害者は世の中に不要」と「抹殺」を実行した背景にある優生思想に、私たちは全く無関係、と言えるだろうか。
「いのちに合掌」に例外はあり得ないのだ。軽くない障害をもつ長男と公共交通を利用しながら、関わりと援助を通じて、世の中を是正し教育する役目を担っているのでは、と常に学ばされる。
生きるに値する命とそうでない命を選別する、衆生の闇は今なお蔓延する。私たちは世間に行じて、これを滅していかなければならないのだ。
(宮城県布教師会長・梅森寛誠)