論説

2018年11月20日号

合掌礼―相手の仏性に―

妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十には常不軽菩薩(以下、不軽菩薩)の故事が説かれています。その昔、自ら悟ったと主張する人たち、いわゆる増上慢の人たちが勢力をふるっていた時代のことです。不軽菩薩があらわれ、「我深く汝等を敬う敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」(私は深くあなた方を敬います。決して軽ろんじません。なぜなら皆さんは菩薩の修行を積み仏さまになるからです)と言って、出会う人すべてに合掌礼拝を繰り返しました。心ない人は悪口雑言を浴びせ、時には杖で打ち石をぶつけました。しかし、不軽菩薩は迫害にあうたび遠くに逃げ「私はあえて皆さんを軽しめません」と礼拝行を続けました。そもそも不軽菩薩とは増上慢の人たちが、常に相手を軽んじない彼の態度を見てつけた名前でした。不軽菩薩は臨終間近のとき法華経を聴聞して六根清浄を得ました。その結果、寿命を延ばし法華経を説き続けついに仏となりました。この不軽菩薩こそお釈迦さまの前世の修行の姿でした。
注目したいのは、不軽菩薩が多くの迫害を受けながらも、老若男女、貴賤上下を問わず、すべての人を敬い続けたことです。不軽菩薩には「すべての人に仏性があり仏さまになれる」という確信があったからです。この不軽菩薩の相手の仏性を信じて行う、ひたすらな礼拝行を「但行礼拝」といいます。
現在、日蓮宗では不軽菩薩の「但行礼拝」の精神ですべての人の仏性を礼拝する「合掌礼」を推進しています。人間同士の敬いの心が欠如している現代社会にあって、すべての人が相手の仏性を信じ敬い、同時に自分の仏性に気づき、仏さまを身近に感じることが安穏な社会づくりに必要と考えられるからです。
私たちが日常生活の中で行う合掌には、神仏への礼拝、お願いするとき、助けを求めるとき、感謝するとき、反省するときなど様々あります。しかし「合掌礼」はそうした倫理道徳的意味の合掌ではなく、不軽菩薩の「仏性を礼拝する」宗教的意味の合掌です。不軽菩薩の但行礼拝の姿は、仏教各宗派の教理を越え、仏教信仰者としてあるべき理想の言動規範と言えます。
浄土真宗の家に生まれながらも熱心な法華経信仰者だった宮沢賢治は、不軽菩薩の但行礼拝の姿に感動し、その精神をデクノボーに託し『雨ニモマケズ』を綴りました。

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ
サムサノナツハ オロオロアルキ
ミンナニ デクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ
南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多寶如来
南無妙法蓮華経
南無釋迦如来
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
(「雨ニモマケズ手帳」 林風舎発行)

詩の続きに書かれた略式曼荼羅により賢治の理想としたデクノボーが不軽菩薩を示すことが理解できます。賢治はこの詩で誰もが人生で直面する「生老病死」(東―病苦・西―老苦・南―死苦・北―生苦)つまり四苦へ寄り添うことが法華経信仰者の修行のあり方だと受け止めました。宗門運動のスローガン「いのちに合掌」の実践的指針と考えられます。
(論説委員・奥田正叡)

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2018年11月10日号

◆世界異常気象時代の到来
今年6月末から7月にかけて降った豪雨は、広島県、岡山県、愛媛県を中心に、西日本に大きな被害をもたらした。200人を超える人びとがお亡くなりになり、多くの方々が家を失った。
それに今年は早くから台風が発生し、例年の倍といわれる台風が日本に接近した。特に21号と24号の台風は日本列島を縦断して、各地に大きな被害をもたらした。
豪雨や台風による雨量は、気象庁始まって以来という記録的なものであったが、雨量だけではない。今年の夏の猛暑も今までに経験したことがなかったというほどの暑さに悩まされた。
これらの現象は日本だけではない。世界各地でも災害級の暑さに見舞われて、多くの命が奪われたという。
アメリカでは、大型ハリケーンが襲来し、多大な被害を出して多くの人びとが命を失い、家を失ったと報道されている。
世界の天災記録によると、2010年以降、異常気象による災害が急激に増えてきていることがわかる。まさに世界異常気象時代の到来といわれる所以であろう。
一方、天災とともに、また今年も大きな地変が発生した。
北海道ではマグニチュード7・5の大地震があり、インドネシアでも同じくM7・5の大地震が起きた。両地とも多大な被害や犠牲者が出たが、特にインドネシアでは津波の被害もあって、大混乱が続いている。
日本では東日本大震災、熊本地震、北海道地震と続いて大地震が起きていて、天災地変の時代に入っていることを誰しも痛感していることであろう。
ここで私たちは、『立正安国論』の問題提議である「旅客来りて嘆いて云く」の文を思い起こさざるを得ない。
◆天地は人類の明鏡
日蓮聖人は、天地は人類の生きざまの鏡であるといわれている。その鏡も単なる鏡でなく、明らかな鏡、明鏡であると言われている。つまり私たち人類の生き方がそのまま天地の鏡に写しだされてくるので、天災地夭は人類の生きざまの誤りが原因だというのである。
たしかに異常気象の原因は、地球温暖化によるものだといわれている。この温暖化は、人類が温室効果ガスの排出量をゼロにするしかないという。まさに人類の努力にかかっている。
しかしこのわく組みを決めるパリ協定から、自国第一主義の米国は離脱することを表明している。私たち人類はこの過ちをどうしても止めなければならない。地球の平安と人類の平和は、世界人類が共に背負わなければならないからだ。立正安国・世界平和運動の意義はここにある。
◆国土は浄仏国土
法華経には、「我が此の土は安穏にして天人常に充満せり。園林諸の堂閣種種の宝をもって荘厳し、宝樹花果多くして衆生の遊楽する所なり」とある。
この私たち衆生が遊び楽しむべき浄仏国土を乱しているのは誰か。それはこの国土世間に生きる私たち人類である。
あくなく戦争をくり返し、人類滅亡・国土破壊の絶対悪の核兵器を一向に廃絶しようとしないこの人類の誤った生きざまが天地の明鏡に写らない筈はない。
核兵器禁止条約が国連で採択され、核廃絶の機運が盛り上がってきた今日、米国と旧ソ連とで結んだ「中距離核戦力廃棄条約」からの離脱を米国が表明すると伝えられている。これは歴史に逆行する行為であり、仏国土の顕現を乱す過ちであることは間違いない。
立正安国・お題目結縁運動を担う私たちの責任は重い。
(論説委員 功刀貞如)

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2018年11月1日号

実りの秋に思う

自己の細やかな経験知であるが、少年刑務所の教誨師そして保護司活動を通して、彼らの共通する点の1つに他者への責任転嫁があるように感じる。
また何か事に対して過度の期待を抱いていることにも気づく。私自身がそうであるが、他者に何かをして差し上げた時、ある程度努力した時は顕著で、「こんなにしてあげたのにこの程度しか喜ばれない」「あれほど、努力したのにこんな結果しか出ない」など、いわば勝手に期待して喜びの前借りをしているようなものである。挙句、他人や成果に対し腹を立てる浅ましい小さな己の姿があらわになる。
今年に入り筆者は檀信徒研修道場と僧道林に出向する機会を得た。
檀信徒研修道場とは、宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」推進のための信行推進者を養成することを目的に年度中2回開設される。本年度第1回の様子は本紙6月10日号に掲載され、全国から集まった檀信徒が信仰を深め合う信行の姿が報じられた。第2回は10月16~18日の日程で身延山で実施され「報恩~身延の祖師に学ぶ」をテーマに実施された。毎回、実り多い研修が行われリピーターも多く、所管の伝道部では各教区からの新たな参加者を呼びかけている。
他方、僧道林とは信行道場35日間の修行を前に、僧道生活の経験の少ない沙弥が集中して訓育指導を受ける出家の教育機関である。信行講話をはじめ法式声明や読経練習・坐作進退・衣帯の畳み方さらには受食作法の習得を目指す。
檀信徒研修道場、僧道林いずれも「三宝給仕」を信行の基本とする。『拾遺和歌集』にある
「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕えてぞ得し」とは、提婆達多品に示される「法の為の故に精勤し給仕」する弟子の師に仕える姿を詠んだものである。
仏宝【久遠実成本師釈迦牟尼佛】、法宝【妙法蓮華経】、僧宝【日蓮聖人】がそなわる大曼荼羅ご本尊に見守られ今の自己があることに感謝し営む報恩のお勤めを「お給仕」という。檀信徒であれば菩提寺に詣で、ご本尊の前にぬかずき合掌礼拝し、花を供え香を手向け、心からのお題目をお唱えする。この1つひとつの行いが、ご本尊に捧げるお給仕となる。
2016年、JTのコマーシャルに「人の想いは見えるものではなく、気づくものでした」(コピーライター米田恵子さん)とあった。私どもはお給仕を通して、み仏やお祖師さまの「生き身」を感じ気づくことができる。
今年9月2日付『朝日新聞』天声人語では、精神科医の宮地尚子さんがエッセーの中で書いている「いいこと日記」を紹介していた。
▼その日の良かったことを三つ、簡単にメモするだけという。悪かったことはあえて書かない。どれほど嫌なことがあったとしても▼そんな日記を続けて宮地さんが見えてきたのは「いいことはたくさん起きているのに、それらを当たり前のように受けとめて、じゅうぶん味わっていなかったなぁということ」。なぜうまくいかなかったのかと不満を持ち、反省することに多くの時間とエネルギーを費やしていたことも分かったという。
(天声人語より引用)
私たちは、日々、生身の仏祖に、「いいこと」を添えた報恩のお題目を唱え、お給仕を重ねる時、おのずと有ること難しの「いのち」に合掌できるのではあるまいか。そして今、生きとし生けるもの全てにも合掌を広げる季を迎えた。
(論説委員・村井惇匡)

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新年のご挨拶。

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