ひとくち説法
2018年10月20日号
ご先祖さまへのお便り
お施餓鬼法要で卒塔婆を立てて供養しますね。この卒塔婆は、ご先祖さまへのお便りじゃないかなと思います。「南無妙法蓮華経」のお題目の下にご先祖さまの名前(宛名)を戒名または俗名で書き、施主(差出人)を書きますね。ご先祖さまへ供養を捧げるとともに、「こちらは元気にしていますよ」と言っているような気がします。
「咲いた花見て喜ぶならば、咲かせた根を尊べよ」。咲いた花は私たち、咲かせた「根」はご先祖さま。今生きている私たち1人ひとりには、たくさんのご先祖さまがいらっしゃいます。
ご先祖さまあっての私たちです。このご縁を大切に。そして生きているのではなく、生かされていることに感謝することこそ、「おかげさま」ではないでしょうか。「おかげさま」、日ごろからよく使う言葉。謙虚に受け止め、「ありがたい」と思い表すことが、「合掌」の姿でしょう。
(福岡県布教師会長・大坪正志)
2018年10月10日号
やってみて気がつく
親しい友人が結婚することになり、披露宴の司会を仰せつかることになった。その打ち合わせを会場の人と行ったのだが、なんと確認事項の多いことか。新郎新婦はもちろん、親族、友人、会場スタッフと異体同心で行うことが大事なのだろう。入念な打ち合わせが必要だ。
葬儀は打ち合わせることが難しい。故人(の遺志)、喪主、遺族、宗教関係者、葬儀業者が、ひとつ心で葬儀にあたるという経験はあまりない。冠婚葬祭は簡略化とオリジナリティを求める昨今だが、いわゆるエンディングノートに記入する人はまだ少ない。そのすべてを記入しなくても良い。大切なことは、ノートに記入するという過程だ。書き始めたらわかるだろう。自分の思いを伝えずにはいられなくなる。親しい仲だからこそ伝えきれていない想いがある。それに気づき、あらゆることに感謝しながら生きていく。敬いの心で安穏な社会づくり・人づくりのための第1歩だ。
(高知県布教師会長・渡邊泰雅)
2018年10月1日号
幸せのお裾分け
いま、世間ではヨガや瞑想がエクササイズとして流行している。当山でも寺ヨガを行っている。
先だって気になる記事を目にした。ヨガや瞑想をエクササイズとして行っている人は、利己的になりやすい傾向があるというものだ。記事には、様々な研究成果をふまえたうえで、欧米ではヨガや瞑想は宗教性を切り離され「自分だけの健康」という現世利益だけを求め過ぎ、他者を軽視する傾向にあると警鐘を鳴らしている。個人主義が基本の欧米だから日本は関係ないと安心はできない。そしてヨガも瞑想も宗教性という根幹を失っては、本来の高みは見えない。そこで1つ足してほしいのは「常求菩提 華化衆生」だ。これは私の一部造語だが、意味は「自らは常に向上を求め、周りの人を華のように笑顔にかえる」。自分の健康という利益だけではなく、周りの人に幸せというお裾分けをしてほしい。ここからヨガや瞑想を始めてはどうだろうか。もちろん唱題行も。
(愛媛県布教師会長・讃岐英昌)