ひとくち説法
2018年9月20日号
仏教は縁起法
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・ヒンドゥー教・儒教・神道などの教えをreligionと言います。
お釈迦さまは、出家してヒンドゥー教の教師の下で修行に励みます。間もなく、religionは争いの原因であることに気づいて、修行を捨ててしまいます。「縁起」の法を覚ったからです。
縁起とは、「あらゆる物事は、これあればあれあり、あれあればこれありの関係」のことです。
人間は、誰でも縁起を覚れますから、この真理を、法華経の前半では、「二乗作仏」と表現しています。法華経の後半では、人びとの生活空間である全宇宙はどこまでも縁起ですから、この真理を、「久遠実成」と表現しています。
縁起法は、現代科学の思考法ですから、科学が進歩すれば進歩するほど、法華経の真実性が明らかにされます。当然のことながら、科学の基礎学問分野は、数学と物理学です。
(徳島県布教師会長・萱間顕誠)
2018年9月10日号
滅罪の唱題
生きる喜びは愛される喜びと愛する喜びに集約されます。愛され、愛する人は最高の喜びを手にしています。愛されず、愛そうともしない人は空しさのみを手にするでしょう。愛されても愛せない生き方、愛しても愛されない生き方はあるのでしょうか。人は愛されて愛することを学び、愛することで愛されるのですから、常に愛することと愛されることはバランスがとれているはずです。
愛しているのに愛されていないと感じた人は、その愛は本当の愛ではなく、エゴに支配されているに違いありません。本当の愛には自己矛盾はないからです。
常不軽菩薩は愛することで、愛のない言動の罪を亡ぼしていきました。この歳になってようやくこの単純な法則に気づきました。私の人生を冷たく暗く寂しいものにしていたのは、私のエゴだったのです。既にこの世にはいない父母に心から懺悔し、滅罪の読誦唱題に励みたいと願っています。
(香川県布教師会長・高岡完匡)
2018年9月1日号
食によって生あり
比叡山の居士林で研修した時のことです。食事の時間が来て30人ほどが食べ始めると和尚が出てきて「音をたてるな」と怒られました。音をたてると餓鬼界に落ち食べることができない亡者が音を聞いてさらに苦しむとのこと。なるほどと思いながら食べ終わると、また和尚が出て来て行儀が悪かった女性に「あなたは何歳になられますか」と尋ねました。女性が「25歳になります」と答えると和尚が「人間は飲まず食わずにいたら、たった10日しか生きられません。あなたは25年も生きてこられた。ということは、その間毎日食事をいただくことができたお陰ですよね」。女性が「そういうことです」と。すると和尚が「食事をいただくとは、命をいただくということ。もう少し行儀よく真剣にいただきなさい」と一喝。普段気が付かないことに気付くきっかけとなり、日蓮聖人曰く「人は食によって生あり」とは、まさにこのことだと思いました。
(鳥取県布教師会長・都泰雄)