2018年9月1日
「志」を確かなものに
大東亜戦争の敗戦から73年、この夏は全国的な豪雨災害から災害同様の猛暑の中、100回記念の甲子園では高校球児の熱戦が繰り広げられ、文字通り熱夏に日本中が燃えるようでした。
その中で例年のように終戦記念日の慰霊祭が各地で開かれ、広島、長崎では原爆犠牲者を悼み、核廃絶と平和を祈る平和祈念祭が開催されました。
一方では残念ながら、原爆の日の8月6日をハムの日、8月9日は野球の日などと呑気に伝えたメディアは、戦争を忘れてしまったり、知らない人びとを相手に平和ボケを促進させています。時は流れ続けているとはいえ、せめてこの時期は国中で戦争や平和について考えたいものです。
しかし、私の地元の長崎でも、戦争の惨禍は遠のいていくようです。それは、若い人の宗教離れともリンクしています。
確かに体験者の減少もありますが、それを語る機会や場所が失われていることにも原因があるようです。
戦後の核家族化により同居世代が単一化され、老人と若い人との接点はほぼなくなりました。それで済むならそれがいいというわがままな現代人気質がそうさせ、それは急激な経済成長による豊かな生活を求めたことで増長されました。家に老人はいない、仏壇もない、家族は寝ている時だけが同じ屋根の下にいるというのが現状です。
しかも、地方では人気すらない家や街が急増しています。もう呑気に構えてはおられません。みんなで真剣に考え方や生き方を変え、実生活を改革していかなければならない時がきたのです。
酷暑のお盆に檀家さんを廻りながら、お盆の習慣行事が忘れ去られていくことをひしひしと感じながら考えざるを得ませんでした。
そもそもお盆の棚経の始めは、江戸時代の長崎地方のキリシタン改めにあるそうです。宗門人別帳を管理する菩提寺がお盆の先祖供養を理由に檀家を残らず廻り宗門改めをしました。檀家は精霊棚を表の居間に作り、坊さんにはそこで拝ませ、奥のマリア像は隠したのです。寺院側もそこは分かった上で見逃し、禁教令の中、キリシタンと共存したのです。平戸では、今でも法事で僧侶を呼び法要を済ませ終わるとすぐに僧侶はその家を辞し、参列者は改めて聖水を用いて意味も解らないオラショを唱え、ミサを行い先祖の供養をします。数は少ないですが、隠れキリシタンとして現存しています。
この約300年間続いている土着したキリシタンは仏教、神道とも同化した極めて日本的な宗教なのです。だからなのか、この度の世界遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」からは、これがはずされているのです。そもそもユネスコの世界遺産認定にもかなり問題がありますが、「隠れ」がいつの間にか「潜伏」に変えられたり、基準もよく解らず、行政やメディアに煽られ、手放しで喜ぶ世論にも問題ありです。キリシタン側の仏教、神道に対する迫害の歴史や不受不施派の潜伏仏教のことなどすべて放り出して潜伏キリシタンに前のめりになることは、地元人だけに疑問だけでなく怒りまでも感じてしまいます。
目先の薄っぺらな幸せだけを追い求め、大事なものを置いて行く現代の我々は、後世の歴史にどう評価されるのか、考えただけで恐ろしくなります。
日蓮聖人の「凡夫は、志と申す文字を心得て仏になり候なり」のお言葉を肝に銘じ、私たちはこの「志」とは何であるのかを真剣に考え、現実の家庭や社会の
生活を本当に正しい生き方に向けて行かなければなりません。
(論説委員・岩永泰賢)