論説

2018年8月20日号

盂蘭盆に思う

盂蘭盆、実はこの行事にインド・中国・日本という仏教の三国流通史が集約されているとともに「盆踊り」「精霊送り」「花火大会」といった日本の美しき伝統と精神文化を育んだ起こりがあるといえよう。
盂蘭盆は元々、インドの言葉「ウラバーナ(あの世での逆さま吊りの苦しみの意)」が漢字に音写され、さらに略されたのが「盆」である。従って、私たちがよくいう「お盆」という語自体には何の意味もない。
弘安3年(1280)7月、日蓮聖人のもとへ直弟子治部公日位上人の祖母から盂蘭盆の供養が送られた。13日の入りの日、早速、返礼の書『盂蘭盆御書』(祖寿59 真筆京都本山妙覺寺蔵)を認められた。その冒頭には、盂蘭盆の由来が記されている。それによれば、『盂蘭盆経』の内容について触れられ、お釈迦さまの十大弟子の1人である目連尊者に関わるルーツが綴られ、日蓮聖人は目連尊者がお題目を唱えて仏と成り同時に父母も仏と成ったことを明かされている。
盂蘭盆はインドに起源があり、それが中国にもたらされて日にちが決定した。さらに日本へと伝えられ、西暦7世紀半ばに「盂蘭盆会」が行われ、平安期になると7月13日から16日の盂蘭盆の期間が定着したという。
しばしば次のようなことを問われる。「インドと中国の仏教、中国と日本の仏教、インドと日本の仏教は違うようだが、お釈迦さまの仏教は何れが本当なのか?」と。そのような時、「それでいいんです、仏教はそういうものです」と返す。
仏教はインドで興り、紀元後67年に中国にもたらされ、朝鮮半島を経て日本へと伝わったとされる。この間、中国では道教と融合し新たな仏教が生まれた。日本においてもしかり、神道との交わりもあった。仏教が伝播した地域の宗教、習俗、慣習などを壊さずに、新たなチャレンジをしたといってもいい。1つの価値観を押し付けるのではなく、新たな文化を生んだ。
大同4年(538)7月15日、梁の武帝は建康(現在の南京市)において盂蘭盆会を催した。何故、この日が選ばれたのであろうか? それは十仏事がそうであるように、仏教と道教が融合した証であると私は考える。
仏教では、月が欠ける新月の1日(朔日)と満月の15日(望月)が布薩(ウポーサタ)、懺悔滅罪の日である。一方、道教には「三元」、つまり、1月15日=上元、7月15日=中元、10月15日=下元であり、殊に中元(現在ではお世話になった方に贈り物をする日となっている)は、懺悔滅罪の日でもある。仏教の布薩の日と道教の中元、さらにインドで安居が明ける時季が重なり合って盂蘭盆の日が、7月15日となったようである。
7月、8月には、全国各地で「盆踊り」「精霊送り」「花火大会」が行われる。郡上踊り、徳島の阿波踊り、京都五山の送り火、隅田川の花火等、それ等行事は盂蘭盆に由来する。盆踊りは、生者だけが楽しむのではなく、この世に帰られた死者ともにある「感応道交」の踊りであることを忘れてはならない。
「踊る阿呆に、見る阿呆…」、「見る阿呆」は観客だけではなく、家に帰られたご先祖精霊が我が子孫が息災に踊る姿を見ると解釈した方がいいと思う。暑い夏に、盂蘭盆から生まれた日本の精神文化を大いに楽しもう。
(論説委員・浜島典彦)

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2018年8月10日号

維新150年、宗教と政治を問い直す時

今年は明治から数えて、まる150年となる。
維新150年との見出しを目にするが、世間のこれに対する関心は、そう高くはない。
まさに明治は遠くなりにけりとの感を強くする。
これに較べれば、明治100年を迎えた昭和42年の頃には、時代のエポックとして国中が大騒ぎしたような記憶がある。
日本という国が敗戦という悲惨な状態から立ち直り、高度成長という時代に入ろうとしていた時のことだった。
当時、20代の半ばだった私は、「よし、俺たちも維新の志士に倣って頑張ろう」との意欲に燃えたものである。
個人的な思いは、さて置く。
今年のNHKの大河ドラマが「西郷どん」なのは、これを記念してのことだろうか。
このドラマが前半を終え、いよいよ後半に突入するという時、明治維新に関しての意識調査と対談の番組が放映された。
驚いたのは、そのことに対する現代人の関心の低さだった。
例を挙げれば、「岩倉具視を知っていますか?」との問いに「倉を造った人ですか?」と若い女性が答えたのには、驚くというより笑うほかなかった。
昔なら、500円札の肖像画に起用された岩倉氏だから、説明のしようもある。
だけど、500円が札を消してしまった今となっては、説明に苦しむのである。
昭和59年、聖徳太子に代わって1万円札の新しい顔として登場した福沢諭吉さんが、いつ、いかなる日にか、これからの時代には、ご用済みという形で姿を消される日が来るのではないかとの不安を感じたものだ。
今や、私が懐かしいと思っている聖徳太子が、お札のシンボルのように絶対的な地位を占めていたことを知っている人が少なくなっているのは、悲しいかな現実である。
だけど、知っておいてほしいと願うのは、太子が我が国で初めて憲法というものを制定した人。そして、その第1条には、「和を以て貴しと為す」という言葉が記されていることだ。
しかも、その後には、「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」との条文が続いていることも忘れてはなるまい。
太子は仏教、ことに法華経の教えに精通していたのである。その教えを以て、国造りを考えていただろうと推測できる。
これに反して、150年前に成立した維新政府は、王政復古の掛け声の下、国家神道を確立せんがために、廃仏毀釈という政策を断行して、仏教教団に大きな弾圧を加えたのである。
これは仏教が我が国に伝来して以来、初めて遭遇したとんでもない出来事だったと考えてもよいのではないだろうか。
とにかく、日本の近代化という大きな歴史の流れの中にあって、見逃されがちだが、これを阻止し、宗派を超えて仏教界を守った当時の先師たちの活動に目を向ける必要がある。
宗教と政治、この2つの立場は異なるものの、非常に緊密な関係にあることは、現代に到るまで、世界の歴史が証明しているではないか。
戦後の政教分離の考えが間違っていると言うつもりはない。しかし、その間、仏教界は指導力を失い、歴史の流れから離反してしまっているのは事実。
維新150年の後には、元号も改まり、新しい時代となる。
そして私たち日蓮宗宗徒は、間もなく日蓮聖人の降誕八百年という聖年を迎えることを肝に銘じなければなるまい。
日蓮聖人は常に歴史の現実と向かい合っていた方だからである。
(論説委員・中村潤一)

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2018年8月1日号

介護現場の実状と宗門運動

数年前、地元で、NPO法人を解散して、新たに社会福祉法人を立ち上げることになり、新理事長と知人であることで、理事を引き受けることになった。
法人設立当時、筆者は宗務院に通う身であったため、理事会や行事に欠席することも多く、十分な関わりができなかったが、現在は時間に余裕ができて、理事会での報告等の資料にも目を通せるようになった。
先日、定例の理事会があり、平成29年度事業報告、決算報告が議案として提示された。
この法人は、7ヵ所の拠点を持ち、特別養護老人ホームだけでなく、デイサービス、ショートステイ、グループホーム、居宅介護事業など、さまざまな社会福祉事業を手がけているため、事業報告にしても決算報告にしても、結構な分量であった。
その事業報告にも示されていたが、この法人の基本理念の第一が「私たちは、思いやりの心で良質な介護を提供し、自立した日常生活の支援に努めます」ということであった。むろん、法人設立当初からの理念であり、既に承知していたものである。
ところで、本宗で現在展開中の「立正安国・お題目結縁運動」の中で、日蓮宗僧侶向けに出された『但行礼拝から敬いの心へ、そして社会へ』(平成21年12月8日)という冊子には、社会との関わりについても触れられている。その47ページには、「各種福祉施設利用者の方々に対して、一人一人を敬う心を忘れずに接し、彼らがこれまで歩んできた人生やこれから過ごすであろう日々の充実を願うような運営を心がけていただきたいと思います」とある。
両者の言っていることにはほとんど違いがないように思われる。施設利用者の皆さんへの温かい眼差しを基本に、人格の尊重を忘れてはならないということになるかと思う。
さて、その社会福祉法人の事業報告であるが、この基本理念に加え、更に29年度は「笑顔の溢れる施設づくり」を掲げて運営に当たってきたという報告であった。
大変素晴らしいことで感心しながら聞いていたが、口頭での説明で思わぬ実状が報告された。「思いやりの心」での介護、「明るく元気な施設」を現場で維持することは、必ずしも容易ではないという。それは、介護現場の過酷さや慢性的な人手不足により介護職員に大きな負担が掛かり、精神的余裕がなくなってくるというのである。
もちろん、施設としてはこういった状況に対して手をこまねいているわけではなく、毎月研修を行って意識の向上を図っているので、「思いやりの心」で「明るく元気な施設」を運営できているということであった。ただ、その研修自体も勤務時間外に行わなければならず、職員への新たな負担になる可能性があると危惧していたのである。
筆者自身、要介護5の家族を数ヵ月間介護した経験がある。介護の厳しさは言うに及ばず、24時間気を許せない状況では、精神的に追い詰められる難しさがあるということも十分承知している。
それにしても、介護施設も増加し、介護保険制度も充実してきたはずなのに、現状は相変わらず厳しいままのようだ。
私たちは宗門運動の中で「敬いの心」を高らかに謳っている。そしてその「敬いの心」は単なる理念ではなく、実践してこそ意味を持つと強調されてきた。しかしこの介護現場の実状は、実践することの難しさを如実に物語っている。私たちは、その困難を克服し、「敬いの心」を実践していかなければならないと改めて強く思う。
(論説委員・中井本秀)

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