論説

2018年6月20日号

法の遵守と生き方

 文永8年(1271)9月12日、日蓮聖人は鎌倉幕府の有力な下臣である平左衛門尉頼綱(~1293)の指揮のもとに逮捕され、佐渡国への遠流となられました。50歳のときです。聖人はこの夜、龍口法難の危機に遭遇されながらもまぬがれ、佐渡国の地頭本間重連の預かりとなるのです。本間氏の館は相模国愛甲郡依智郷(神奈川県厚木市)にありました。しばらくここに滞在された聖人は10月10日この館を出発され、10月28日佐渡国へと到着されました。この日から文永11年(1274)2月14日、幕府の赦免状が下されるまで流人としての生活を送られるのです。まさに聖人は数えの50歳から53歳まで4ヵ年の流罪生活を送られたことが知られます。
 赦免後、聖人は3月26日に鎌倉へ帰着されます。その翌月8日、鎌倉幕府は、モンゴルが日本を襲う件で聖人を幕府へ招くことになり、ふたたび聖人は平左衛門尉と対面されることになります。その会見の様子は、『撰時抄』に簡潔に描写されていますが、その中で目を見はる表現に気づくのです。聖人は平左衛門尉につぎのようにおっしゃいました。
 「王地に生まれたれば、身をば隨へられたてまつるやうなりとも、心をば隨へられたてまつるべからず」(『昭和定本』1053頁)
 日蓮聖人は、ときの北条政権の最も権力をもつ平左衛門尉に対して、「私は北条氏の政権下の日本国に生命を享けているのでありますから、その命令(御成敗式目)に従うことがあったとしても、けっして私の生き方や信仰というものは、あなたがたの政権に従うことはありません」というのであります。
 この「法華経の行者」としての日蓮聖人のお言葉は、自己の身命は大恩教主釈尊、そして法華経に捧げたてまつりますという信念と同時に、平左衛門尉をはじめとする、北条政権の理不尽な政治のあり方に対し、厳しい批判がなされていることを知るのです。
 それは、日蓮聖人が文応元年(1260)7月に『立正安国論』を奏進されたのち、8月27日「松葉ヶ谷草庵」の夜襲や、弘長元年(1261)年5月12日の伊豆流罪、そしてこのたびの佐渡流罪という、幕府の不条理に対する厳しい批判であることが知られます。
 この北条政権の理不尽さについては、建治3年(1277)6月執筆の『下山御消息』に詳述されています。その記述によれば、聖人が『立正安国論』奏進以後、伊豆国へ配流されたことについて、「御式目をも破らるる歟」(『昭和定本』1330頁)と北条幕府が定めた「御成敗式目」をみずから破壊するものであるとの指摘がなされています。同様に佐渡流罪についても、「去ぬる文永八年九月十二日に、都て一分の科もなくして佐土の国へ流罪せらる」(同書・1332頁)と断言されています。つまり、北条政権は2度の流罪や聖人遭遇の事件に対し、御成敗式目に基づく対処をしなかったことを指摘されているのです。
 今日、私たちは「日本国憲法」のもとに生活し、種々の規則、法令のもとにありますが、しかし、政治や運営に関わる人々が、これを遵守し、その責務を果たそうとしているのか疑問に思われます。組織においては、議事録や契約書に基づく運営が重視されねばなりません。しかし、それが不十分である報道に接し、その無責任さに呆然としてしまうのです。
(論説委員・北川前肇)

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2018年6月10日号

「母の日、父の日」知恩報恩を考える

 日蓮宗では、年に3回日蓮宗総本山身延山久遠寺の信行道場にて35日間の結界(教団の僧侶の秩序や聖域を維持するためある一定の区域を限ること 岩波仏教辞典)修行を行っている。ここを終えて、初めて日蓮宗教師(僧階を叙任され、住職になれるなどいうなれば独り立ちした日蓮宗の僧侶のこと)となるのだ。5月末から6月に開催される第2期信行道場は、女性が対象で、私もこの修行を経て教師となり、今日に至る。
 35日間の修行は、基本的に男性と同じ内容で、読経・写経・水行などさまざまな訓育が行われる。登詣修行もその中にあり、奥之院の頂上にある思親閣登詣の経験は、感慨深い思いに耽った。ここは、日蓮聖人が故郷千葉県安房小湊のご両親を追慕し、その方角に向きながら追善を祈った場所である。私もその同じ場所に立ち、千葉県と同じ方角の故郷葛飾区に、手を合わせ心から両親への感謝と無事を祈ったことが忘れられない。
 また5月6月、私が園長を務める幼稚園の保育室の掲示ボードは、子どもたちが描いたお父さんお母さんの絵でいっぱいになる。5月6月は、親と子のいのちの繋がり、親への感謝といった知恩報恩について考えさせる季節なのだ。
 さて、地方自治体で急速に発展しているサービスを「親孝行サービス」という。これは、ふるさと納税の返礼品として、実家に住む両親に対する見守りといったサービスを「親孝行サービス」とうたい、導入する自治体が全国的に増えているという。ふるさと納税の大手仲介サイト「ふるさとチョイス」を運営するトラストバンク(東京)によると、同サイトで紹介する返礼品のうち「見守り」「親孝行」と言った言葉が含まれる件数は、全国で120件に達しており、民間企業やシルバー人材センターが、一人暮らしの高齢者らを対象に、安否や体調を確認したり、掃除や庭の草取りといった家事を代行したりする内容が多い。寄付額6万円以上は半年で6回、12万円以上で1年間12回の訪問による見守りと言う内容。さらに、墓の周りの清掃、墓石の水拭きなどの墓の見守りなどを選択できるサービスも加わったそうだ。地方の過疎化や、自治体の財政赤字などの問題は深刻化している。しないよりしてくれる方がありがたいが、しかし何とも切なくなる思いを抱く。本来手塩にかけて育ててくれた親への報恩が、自分の手を介すことなく代金引換サービスとなることを「親孝行サービス」と称し、今後ますますこのサービスの需要が拡大されることが予測される。このような商業的なサービスの発展や、介護福祉の充実を「介護の社会化」と呼んで賞賛してきた私たち。1人暮らしの高齢者の割合が、世界第1位の福祉国家であるスウェーデンと日本の1人暮らしの高齢者問題で明らかに違うのは、日本は家族と過ごす時間・頻度が大変低いことである。日本は、親身な関係を生むための助け合いと育ちあいを社会化することによって、豊かであたたかな人間性を育む機会を失い、ますます親と子の繋がりを一層希薄なものにしてしまった気がしてならない。
 日蓮聖人は、『四恩鈔』に「六道に生を受くるに必ず父母あり(中略)然るに今生の父母は我を生みて法華経を信ずる身となせり」と示され報いなければならない4つの恩に父母の恩をあげて説かれている。どのいのちひとつなくても今の自分がないいのち。子どもたちが、遠く離れた故郷の父母に思いを寄せ、還れる機会をどのようにしたら作れるのか。親の恩に報いるということを、どう考えどう受け止めるのか。私たちは、法華経を通して親と子どもたちの繋がりの懸け橋として主体的に関わっていかねばならない時代である。(論説委員・早﨑淳晃)

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2018年6月1日号

2千万人の難民

 世界では2千万人が難民としての認定を受け祖国を離れて生活しているという。その窮状もさることながら、外国に出たものの難民の認定も受けられずに行き場を失った人たち、自国内で塗炭の苦しみにあえいでいる人たちが4千万人以上いると聞く。
 日本で難民と聞いて思い出すのはインドシナ半島のカンボジアやベトナムからの難民だろう。日本に定住したカンホジア難民はさほど多くないが、ベトナム難民は国内各地に定住センターがあったから身近な存在だった。小生も難民キャンプが設置されると同時にタイ国内にできたカンボジア難民キャンプで活動を開始し、その後ユニセフの要請を受けてカンボジア国内での救援活動にも従事したから、貴重な体験もさせていただいた。
 国内にいてマスコミからの情報だけで考える難民問題と、現場でみるそれとの大きな違いは、難民問題は心情的な考え方では何も理解できないということだった。「かわいそうな難民さん」が、実は元ポルポト派の兵士で、大虐殺の張本人だったり、ボートピープルの殆どが裕福な華僑たちで、本当に困っている人たちはホー・チ・ミン(旧サイゴン)の街角で物乞いのような生活をしていることなど、入国が認められなかった日本のマスコミによる報道では紹介されていなかった。
 シリア難民に世界の目が注目している間に、ミャンマーではロヒンギャと呼ばれる110万人もの人たちが行くあてもないまま放浪生活を強いられている。
 聞けばこの方々は、第2次大戦前に英国によって強制的に移住させられたのだそうで、ここが先祖伝来の土地というのではないという。英国による統治政策の犠牲者なのだ。その後、ミャンマーの軍事政権時代から迫害を受け続けていたのだが、民主主義の星ともてはやされたアウンサン・スーチー女史に実質的な政権が移行しても彼らの苦悩は変わらないままでいる。いや、むしろ悪化しているようにも見えるのは理解しがたい。
 ところでこの報道で気になるのは「仏教徒とイスラム教徒の対立」という表現がよく使われることである。
 確かに、ミャンマーでは国民の90%が仏教徒である。対してロヒンギャ族はすべてイスラム教徒であるから、事件の表面だけを見ればそう見えるのかも知れないが、これは結果であって原因ではない。
 軍事政権の指導者に仏教徒が多いのは事実だが、仏教の教義や指導者が布教を目的として迫害をそそのかしているのではないことを、確認していただきたい。
 実は過去にも同様の事件が起きたことがあった。やはり同じ地域に住んでいたロヒンギャ族の一部が、国境を越えて隣国であるバングラデシュに逃げ込み「難民キャンプ」を形成したという出来事である。
 仏教徒の迫害に対する「ジハード」(聖戦)と認識されれば世界のイスラム国家から支援が受けられるのでそれを狙っていたにすぎなかったと、日本電波ニュース社で当時バンコク支局長を勤めておられた熊谷均氏から聞いてホッとしたものである。
 ミャンマーでもシリアでも、子どもたちまでもが翻弄されている姿が見える。様々な要因が重なり、解決までに多くの紆余曲折があるのだろうが、せめて子どもたちにだけは悲しい思いをさせない方法はないものか。UNHCRやUNICEFをはじめとする国連機関が尽力している。私たちもせめて資金援助でもさせていただいて、祈りを形に変えてゆきたいものだ。
(論説委員・伊藤佳通)

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