2018年5月1日
寺の子だったら「人が死ぬともうかるらしいな」
寺の子だったら「人が死ぬともうかるらしいな」と同級生から悲しい言葉をかけられた経験があるだろう。この言葉を、どう受け止め、どう克服していくか、それが寺の子の成長の一面である▼大学の先輩から1冊の本が送られてきた。彼は東京証券取引所1部上場仏壇チェーン店の3代目会長である▼仏壇は持仏を安置する持仏堂に由来する。中世になり霊の依り代として位牌が普及してくると、家の中に棚(壇)が必要になる。家の中の持仏堂だ。そこが家庭での仏壇であり、先祖供養の場となった。明治以降、日清・日露と戦没者が増え、仏壇は一般化していった▼本の中に、福岡県の炭鉱地帯の1仏壇店が、業界屈指の大手に成長していく過程が書かれている。昭和38年に三井三池炭鉱で458人が死亡し、839人が一酸化炭素中毒に罹るという戦後最悪の炭塵爆発事故が起きた。2代目は、事故で亡くなった家へ、仏壇の訪問販売に行く決心をした。親しい僧侶から「悲嘆にくれ明日が見えない遺族に商品を売るには『ひとの不幸を商売にして…』と、塩を撒かれるぐらいの覚悟がないと」と忠告され、供養の心の大切さを説いて回った。罵倒されながら100基以上の仏壇を売ったという。商売だからと言ってしまえばそれまでだが、「お前さんの僧侶としての覚悟は?」と問われると、本当の使命に気付かされる私がいた。 (雅)