論説

2018年3月20日号

子どものいじめ

平成24年8月、内閣府は人権擁護に関する世論調査を実施。「子どもに関し、現在、どのような人権問題が起きていると思いますか」との問いに以下の結果が出た。
①いじめを受けること
【76・2%】
②虐待を受けること
【61・0%】
③いじめ、体罰や虐待を見て見ぬふりをすること
【55・8%】
④学校や職場先の選択等のこどもの意見について、大人がその意見を無視すること
【31・9%】
⑤児童買春・児童ポルノ等の対象となること
【28・4%】
⑥体罰を受けること
【24・8%】
⑦特にない・わからない
【5・5%】
(法務省人権擁護局『平成29年度版・人権の擁護』参照)
今日、学校に於けるいじめの事案は多く発生し、家庭内の児童虐待も増加している。共通してこれらの事案は、周囲の眼に付きにくい所で起こっている。
特に被害者である子ども自身が、身近な人に相談することをためらったり、相談できないことも多く、重大な結果になって初めて表面化する例が少なくない。
学校のいじめ認知数が年間1万件に迫る埼玉県の地元紙『埼玉新聞』の「さきたま抄」(今年1月18日付)では、脳科学者・中野信子氏の著書『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)を取り上げた。
中野氏は、いじめは種を残すため脳に組み込まれた機能であるとし、いじめが起こるメカニズムを脳科学的観点から解説。さらに人間の生物学的な本質の分析を重ね、「子どものいじめ」「大人のいじめ」への対応や回避策を提示しており、いじめの防止・抑止にひとすじの光を見る思いがした。
仏教評論家・ひろさちや氏は学校からいじめをなくしたいのであれば、学校を競争原理から解放することが急務であると警鐘を鳴らす。
かつて、ひろ氏は一般紙の中で『生物から見た世界』(岩波文庫)に記される猛禽類が巣と猟場の間に中立地帯を設け、そこでは捕食活動をしないことを例に、義務教育の在り方について論述していた。
猛禽類のヒナは巣立ちの後、しばらくは親鳥の近くで過ごすため、親鳥が巣の近くで獲物を捕らえると、自分の子を襲う危険が生ずるため、彼らは中立地帯を作り、そこでは一切の狩りを行わない。中立地帯は、いわば他の小鳥にとっては安全地帯となり、さまざまな鳥がここに集まり子育てを行うという。
ひろ氏は、日本社会に於ける中立地帯は、ヒナである子どもが育つ義務教育の場、小中学校であると記す。そして、現代日本は競争社会となり、経済活動の場である職場のみならず、教育の場である学校までもが、学力を競う場となり、猛禽類でいう猟場となっていると述べる。
今や教育行政という社会システムの変革を待ってはいられない現実が私たちの眼前に在る。
日蓮聖人が今、ここに在しなば、どうなされるであろうか。我等は、法華経・ご遺文から人間の多様なあり方を学び、さまざまな取り組みができる。
世間智と呼ばれる現今の価値観、あるいは科目としての道徳ではなく、日蓮聖人の眼を通した法華経のみ教え、すなわち仏智で人びとと接することが肝要であろう。
仏祖が人身を仏身とご覧になられたように、私どもも仏眼をいただき、眼前の仏身に寄り添い、つながり続けねばならない。
(論説委員・村井惇匡)

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2018年3月10日号

刹那に生まれ変わることができる

昔、インドはコーサラ国の首府である舎衛城に1人の殺人鬼があった。彼は、人を殺しては指を切り取り、その指で首飾りを作っていたことから、「アングリマーラ(指で作った首飾りを懸けている男、指鬘外道」)と呼ばれ、人びとに恐れられていた。コーサラ国の波斯匿王は軍勢を率いて、何度もアングリマーラを捕らえようとするも、まさに「神出鬼没」の彼を捕まえることができないでいた。夜な夜な出没する殺人鬼アングリマーラ。朝になると街には、指を1本切り取られた死体が転がっている。王の軍隊さえものともしない連続殺人鬼の悪行に、舎衛城の人びとは恐怖した。
そのようなある日、夕暮れの舎衛城をお釈迦さまが訪れた。舎衛城の人びとの忠告にあえて耳を貸すことなく、アングリマーラが出没する街道へと歩みを進めたお釈迦さまは、アングリマーラに命を狙われる。しかし神通力を用いて彼を回避し続け、最後は〈諸行無常〉の教説をもって、かの殺人鬼を教化することに成功する。受戒した彼は、「殺人鬼アングリマーラ」から「比丘アングリマーラ」となったのであった。
あるとき、アングリマーラが托鉢へと出向いた道すがら、路上で苦しむ1人の妊婦に出会う。慈悲心を発した彼は、舎衛城郊外の祇園精舎へと戻り、お釈迦さまに状況を話し、妊婦とお腹の赤ちゃんを救う方法を問うた。すると釈尊は、次のようなことばをかけることで彼女らを救ってあげなさいと諭した。
「ご婦人よ、私は生まれてよりこのかた、いきものの命を故意に奪ったことがない。この真実のことばの力によりて、あなたとあなたのお腹の赤ちゃんに安穏あれかし」
インドには古来、真実のことばには願いを叶える不思議が宿るという信仰がある(平成29年7月10日号論説)。お釈迦さまはその力を用いて女性を救えとアングリマーラに教誡したのである。しかしかつて兇悪な殺人鬼であったため、「生まれてよりこのかた、いきものの命を故意に奪ったことがない」が真実のことばにはなりえないと考えた彼は、「そのことばには力がなく、女性を救えません」とお釈迦さまに訴える。するとお釈迦さまは、「では次のように言い換えよ」と再び諭した。
「ご婦人よ、私は聖なる者として生まれ変わってよりこのかた、いきものの命を故意に奪ったことがない。この真実のことばの力によりて、あなたとあなたのお腹の赤ちゃんに安穏あれかし」
果たして、彼がこのことばを女性にかけると、女性は無事に出産し、母子ともに健康であったという。このエピソードは取りも直さず、アングリマーラが釈尊の教化を受けて比丘になったことで、「生まれ変わっていた」のが真実であったことを示している。そうなのである。インド一般では「生まれ変わり、輪廻転生」といえば、物理的な生死を経てはじめて得られるものであるのに対し、〈諸行無常〉という理解に立脚する仏教では、その人の意のありように応じて瞬間瞬間(刹那の間に)生まれ変わることができるのである。そしてそのような仏教的な生まれ変わりを体験された方が、他ならぬ日蓮聖人であった。
「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて、返年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず」(『開目抄』)
われわれもお題目を唱えることを通して、「成仏たりうる者」へと瞬時に生まれ変わることができるのである。
(論説委員・鈴木隆泰)

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2018年3月1日号

安心できるお寺・僧侶とは

お寺が社会から「良いお寺」と信頼を得るには何が必要か。一般社団法人「お寺の未来」が「安心のお寺10ヶ条」をまとめた。
第1は寺として一般社会に向け確固たる宗教的理念・方針が示されているかである。寺報・パンフレット・ホームページなどで宗教的使命感と具体的方針が情報発信されているか。第2は僧侶や寺族の人柄である。日常の勤行や法服姿で寺院生活に宗教者として信仰・品格が保たれているか。僧侶がどのレベルで宗教的・文化的研鑽を修得しているか、つまり出家者としての資質が問われる。第3はまごころの弔いがなされているかである。相手の立場に立った心のこもった葬儀や法事がなされているか。遺族へのグリーフ・ケア(死別の苦しみへの援助)や傾聴がなされているか。宗教的癒しが判断される。第4は充実したエンディングサポートである。檀信徒のために終活や人生相談を受けているか。エンディングに関わる専門家や行政書士・税理士など仕業と連携できているかである。
第5は寺院が仏教の智慧に触れる祈り・体験の場として活かされているかである。祈願・写経・法話などで広く社会に寺門を開放しているか。縁日にちなんだ伝統的行事が、参詣者のニーズに応え工夫されているかなどである。第6は寺院が地域社会のコミュニティーとして活動しているかである。例えば初詣・七五三・節分会・てらこや・地域NPOとの連携。つまり年齢・性別・社会的立場を超えて人々が集うお寺コミュニティーとしての活動である。第7は寺院の社会活動である。檀信徒や地域社会を巻き込んでいかに奉仕活動・ボランティア活動・チャリティー活動しているかである。第8は施設・設備の充実である。本堂及諸堂が礼拝施設として荘厳され、庭園や墓地など境内が信仰の法城として整備されているか。文化財保護、災害対策、バリアフリー対応などの整備である。第9は財務の安定性である。会計処理が適切になされ、金銭的に公私が明確化されているか。会計帳簿、源泉税、年間収支計算書の適正処理が重要だ。第10は宗教法人として堅実な管理運営がなされているかである。寺院規則が保管され、宗内をはじめとする都道府県庁への提出書類は適切に作成・処理されているか。檀信徒のプライバシー保護や情報管理が適切かなどである。
近年、人口減少と過疎化による檀信徒の減少化、直葬などによる葬儀式の簡素化など寺院を取り巻く社会環境は激変している。特に僧侶や寺族に向けられる視線も厳しい。「安心のお寺10ヶ条」は一般生活者の目線でまとめられたものであり、社会から安心できるお寺・僧侶と評価される一つの目安となろう。
現在、日蓮宗では常不軽菩薩の「但行礼拝」を基本精神に宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」を展開している。その重要課題の一つが未信徒とのお題目結縁である。常不軽菩薩はお題目による成仏を確信し、あらゆる人に向かい合掌礼拝した。それは「亦復故に往く」つまり「何度も繰り返し自分から行く」能動的行動だった。現代は「宗教離れではなく宗教者離れが問題」と指摘されている。導師として衆生を教化する僧侶を「能化」と呼ぶ。日蓮宗僧侶の1人ひとりが能化として常不軽菩薩を追随することが宗門運動成功には必要となる。そのためには出家者としての功徳を積み品格を高め、社会から信頼される僧侶の姿が求められる。「僧侶の常識は、社会の非常識」とならないよう共に精進したいものである。
(論説委員・奥田正叡)

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新年のご挨拶。

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