オピニオン
2018年2月1日
法 悦
お寺には法華経を信仰しお題目に大きな喜びを感じている人々の姿がある、その姿は尊く美しい。
お題目を唱えている姿や読誦している姿、写経している姿、身延山に登詣している姿、ご先祖のためお塔婆を立てて供養する姿、お祖師さまに花や灯明、香を供養している姿、法華経の教えを聞き歓喜している姿、自分の心を反省し懺悔している姿、悲しみや苦しみを共有し涙ながらに手を合わせお題目を唱えている姿がある。そして、これらを讃歎している人々の姿もある。
どれも尊く、そこにはお祖師さまも歓ばれ讃められる「うるわしき日本国」の姿がある。
世の中は一喜一憂であるが、自然の景色や花に喜び、出会いに喜び、家族団欒の喜び、音楽に喜び、飲食に喜び、香りに癒され喜ぶ姿は溢れている。これらの喜びを法華経に抱かれていると感じ、お題目で感謝できる人は「質直意柔軟」の信仰者であり、その周りを法悦の光となって照らす。
(石川県1部布教師会長・伊藤寛仁)