論説
2018年1月20日号
多様性への寛容とは
経済格差による南北問題と、イデオロギーと軍事力による東西問題が世界の重要な紛争要因であるとされていたのは、それほど遠い昔のことではない。その間、宗教間の争いはそれほど目立たなかったが、冷戦終結後の近年、一神教間の宗教対立が紛争の大きな要因としてクローズアップされてきた。
古代ヨーロッパのギリシャやローマでは、多くの神々がいて、他の人の信じる神々を尊重していた。ところが、一神教は他の神を信じるものは敵だと教え、対立は戦争にまで発展し、聖地エルサレムをめぐる争いに留まらず、移民や難民問題と複雑に絡まりあって現在に至っている。
人種や性別、歴史や文化の多様な背景を有する人々が平和に共存できる社会を構築するために、多様性への理解と寛容の精神が必要であるとの認識は、世間に喧伝されているほどには実は奥底では受け入れられていなかったのかもしれない。様々な価値観の人が、それぞれの意見の相違を認め合いながら平和な社会を築いていくという民主社会の理想が、民主主義発祥の欧米で揺らいでいる。
この問題は、対岸の火事と安閑としてはいられない、私たち自身の問題でもある。今や世界の総人口の四分の一を占めるイスラム教徒が日本の私たちの身近にも増えつつある。世界の総人口の三分の一を占めるキリスト教徒を含め、他の宗教の人たちと今後どのように接していくべきであろうか。また、同じ仏教徒の中でも、国内の異なる宗派だけでなく世界的に多くの宗派がある現状の中で、私たちはどのように対応していくべきであろうか。
末法時代に突入し世情が混乱を極めていた鎌倉時代にお生まれになった日蓮聖人は、一見するといかにも仏教が栄えているかのように見えるのになぜ戦乱や自然災害で多くの人々が苦しみを味わわなければならないのかと深く洞察し、仏教そのものの中に真実ならざるものが混入してしまっているからであることを見抜いた。
現代社会は日蓮聖人の活躍した鎌倉時代とは大きく異なる。私たちの認識できる時間と空間の広がりや、私たちが触れることができる情報量にも格段の違いがあるはずである。真実ならざるものの混入が原因で世の中の混乱が生じているのだとすると、どこにどのように混入しているのか、現代の目で見極めることが求められている。
一方では、自らの価値観を主張するだけではなく、全く異なる考えも尊重し共存を容認することが求められている。
現代の日本人は宗教心が薄いと言われることがあるが決してそうではない。仏教徒であれば、自分の宗教心はしっかりと持ちながら、一方では神社にお参りして日本古来の神々にも敬意を表し、クリスマスやハロウインも大らかに受け入れている。その意味では、日本人は本来広く寛容な宗教心を持っていると言うべきであろう。このような日本人の仏教精神こそが、今後の世界平和の基本的スタイルとして普遍化していくべき大切なものではないかと考える。
世界の総人口に占める仏教徒の割合は十分の一程度であると推定されている。その中で日本仏教の、そして日蓮仏教の占める割合は限られている。日本仏教が、そして日蓮仏教が世界中の平和を希求する人々の基本スタイルとして認知されるためにも、私たち自身の信仰を磨き、世界の人々の心をひきつける努力をしなければならない。それは、芸術や文化の涵養を含めて、私たち日蓮宗徒の生活が心の平和に満ちたものであることを示すことによるものでなければならない。
(論説委員・柴田寛彦)
2018年1月10日号
沖縄に真の平和を
昨年の11月、沖縄を訪れる機会を得た。摩文仁の丘で慰霊祭が行われたからである。この慰霊祭は、静岡県下の遺族会を中心に県の役職員や県議会議員・各市町村長など多数が集い、式典を県仏教会が行ったものである。各宗派の僧侶も大勢が出仕し、静岡県の慰霊碑の前で、戦争への反省と2度と再び戦争を繰り返さないとの誓いと深い慰霊の誠を捧げて厳粛に行われた。
この摩文仁の丘には、沖縄戦で亡くなった約20万人の犠牲者の名を連ねた碑が建てられている。碑に刻まれた人たちは、米軍の猛攻撃に遭い、この世の地獄と化した沖縄の地で恐怖のどん底に落とされ死んでいったのかと思うと、やり切れない気持ちになる。
73年前、即ち昭和20年3月、沖縄の地上戦は、慶良間諸島を経て、米軍20万の兵士の上陸とともに始まった。特に日本軍の作戦本部があった南部に熾烈な攻撃が行われ、約10万人いた軍人と約5万人の民間人は、瞬く間におびただしい戦車による攻撃と火炎放射器によって焼き殺されていった。その間、日本軍の反撃により米軍にも戦死者が出たが、圧倒的に兵力に勝る米軍の容赦ない攻撃で、人家も山野も焼き尽くされ、人びとは殺されていったのである。そしてついに6月23日、日本軍の沖縄司令長官と参謀長が摩文仁の丘の陣地で自決して、沖縄戦は終わった。この日を沖縄の玉砕の日としている。このような状況になる前に、米軍から司令長官のもとに降伏勧告があったが、受け入れなかった。沖縄は日本本土の防波堤となり、少しでも抵抗を長引かせよとの大本営からの命令で、民間人を巻き込んで抗戦したのであった。太平洋戦争において沖縄は日本で唯一、地上戦が行われた所でもある。
糸満市にある摩文仁の丘は、いたって静かで平和な状態である。公園墓地として木々も生き生きとし、わたる風も穏やかで、昔の戦場の面影など、どこにもない。今日、摩文仁の丘は慰霊の丘として、平和を願い戦争を再び起こさないと誓う場所となっているが、沖縄全体に広がる状況は今も決して安穏ではない。戦後もずっと米軍の戦略的な基地として犠牲を強いられてきた。米軍の占領下にあった沖縄は、昭和42年に日本に復帰したが、それからも基地は少しも減ずることなく、沖縄県民は日々危険にさらされている。
沖縄の米軍基地は、全島の78%に散在し、駐留する兵士の数は約2万3千人もいる。それに伴い、戦艦・戦闘機・戦車・弾薬などが整備され、臨戦態勢を構築しているのである。そのため事故も多く、飛行機の墜落事故、兵士による民間人殺害事件などが相次いで起こっている。最近では飛行機からの落下物が保育園や小学校に落ちて問題となっている。しかも日本と米国との間には地位協定が結ばれているため、沖縄で米軍が起こした事故に対して、日本側に調査権も裁判権もないという不合理がまかり通っている。さらに、基地移転に伴う問題では、現在も国と沖縄県とが争っている。沖縄にはいつになったら本当の平和が訪れるのだろうか。
浄土も地獄も人間の心次第で決まる。武器を溜め込み、戦争のできる準備をするのではなく、平和な世界を実現する決意と行動が伴ってこそ本当の慰霊となる。仏教はそのための教えであり祈りでもあるといえよう。
(論説委員・石川浩徳)
2018年1月1日号
『君たちはどう生きるか』青少年期に問いかける
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
毎年、忙しく迎える大晦日から正月の10日間、幼稚園は冬休みになり、園長である私も一気に園務から法務へ、心も体もシフトチェンジする。休みの間、初詣に来る園児以外は会えないので、私の楽しみは、高校、大学に進学し、お寺のアルバイトにやってくる卒園児たちとの再会となる。
卒園してから12年以上経っている。巣立っていった卒園児たちは、幼き頃の面影をわずかに残しながら、受け答えはもちろんのこと、実に誠実に与えられた職務を全うしている。「大人になったなあ」としみじみ感じる。
最近ふと見たニュースで、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著 岩波文庫)が、80年という月日を経て漫画化され発行部数が100万部を突破し、さらに宮崎駿監督によってアニメーション化されることが報じられていた。遠い昔ではあるが、とげとげした思春期真っ最中の私に、父が何も語らず机に置いて行った本がこれであった。人に指図されることを嫌う反抗期とも重なり、最初は部屋の隅にぽいと置かれていたあの頃の風景さえ懐かしい。しかし、それから間もなく、私の思春期を支えてくれる大切な本となった。今では、亡き父の親心を感じ、きゅんとなる思い出の一冊である。主人公は、コペル君というあだ名を持つ15歳の本田潤一郎少年。彼には、とても良い距離で寄り添ってくれる叔父さんがいる。叔父さんは、いつも彼に「君はどう生きるか」を自分で考えていくよう導いてくれる。例えば、学校で親友と上級生とのいざこざがあり、親友を助けるどころか傍観しかできなかった失意のコペル君に、「人が生きていく上で大切なこと」を世界的な偉人の人生を引き合いに出しながら、コペル君自身が自分で考え、行動できるように促してくれる。
少子化が進み親戚、家族の関係が大きく変化してきている現代に、思春期から大人へと成長していくこの時期、親には言えないことに耳を貸してくれ、利害を考えず一緒に心を開いて向き合ってくれる存在の必要を切に感じる。昨年、神奈川県座間市のアパートから9人の遺体が見つかった痛ましい事件が起こった。この被害者や、未遂に終わった人々の中にも青少年がいたことが報道されていた。この事件が象徴する現代社会の人間関係、コミュニケーションのあり方は、インターネット社会のあり方と共に、益々大きな問題となるであろう。再びこの漫画『君たちはどう生きるか』が、青少年たちに信頼できる大人との出会いと、信頼する心に応えてくれる大人との対話の中で、成熟した大人への道筋を導き、訴えかけてくれることを願っている。
宗門では、宗祖降誕八百年慶讃事業として青少年の年代を広げ、青少幼年の健全な育成を目指し、実動に向けて熱い議論が交わされている。
日蓮聖人は、「正月は妙の一字のまつり」(『秋元殿御返事』)と記されている。新しい年を迎えた今日に誓いを立て、新たな気持ちでこれからを送りたいと思う。誓願とするならば「立正安国」に向かって日蓮宗寺院としてできることは何か。「生きる」という人びとの営みの中に法華経を見出し、「どう生きるか」を導く中心に私たちが携わろう。思春期になった卒園児が「今日幼稚園に還ってきてよかった。成長したこと。自分が自分を認めてあげることができたから」という手紙を置いて行った。幼稚園はそんな役割も持っているのだと心に刻んだ。お寺もそんな存在でありたい。
(論説委員・早﨑淳晃)