オピニオン
2018年1月10日
合掌
古来インドでは、箸を使わずに素手で食事をしましたので、右手は清浄な食事に、左手は不浄なトイレでと、両手を使い分ける習慣があります。ことに仏教では、右手は清浄なる仏の心を表し、左手は不浄な自己の煩悩を表し、両手を合わせ「合掌」することで、清浄なる仏の心に自己を合一させ、相手を敬うことを表します。日本においても「右ほとけ 左衆生と合わす手の うちぞゆかしき 南無のひと声」という古歌が有名です。また、数珠を片手で持つときは、不浄・煩悩を表す左手に掛けます。
『法華経』でお釈迦さまは、この経を信じるすべての人に成仏を約束されましたが、ご自身も前世で「常不軽菩薩」(常に軽んじない菩薩)として、世の中の人びとの成仏を念じ、ひたすら「合掌」して巡る修行(但行礼拝)をされました。日蓮宗ではこの故事に基づき、「合掌」であいさつを宗門運動として勧めています。
(新潟北部布教師会長・小瀬修達)