オピニオン
2017年12月20日号
「烏」のプラス一手間
烏は保護鳥であるらしいが、どちらかといえば「嫌われ者」である。ただ、子育ては他の動物たちに劣らない。童謡「七つの子」がある所以か? その烏が子育てをしている頃の話である。我が家には殺処分を免れた犬猫が多頭いる。私は毎朝夕に彼らの食べ残しの餌をスズメたちにあげているのだが、次第に烏の方が上前をはねるようになった。ただ、嘴一杯に餌を頬張ると一目散に飛び去って行く。子烏に運んでいるのだ。そのうちに子烏も巣立ちをして親烏に付いてくるようになったが、まだ自分で餌を啄むことはできない。翼を広げ「カアカア」と嘴を大きく開けて餌をねだる。とその時私は驚きの光景を目の当たりにした。粒状の餌を頬張った親烏はそれをそのまま子に与えずに一旦猫の水飲み場迄行き、その口一杯に水を含み、それを子烏に与えるのだ。脱帽、合掌。子烏が餌を喉に閊えないように「慈愛の一手間」プラス。ありがとうカアちゃん。「常住此説法」
(新潟県東部布教師会長・眞島文雄)
2017年12月18日号
静岡中 小池英淳上人の本葬儀
【静岡中】9月18日に世寿92歳で遷化された富士宮市代立寺(小池隆通住職)第二十世恭敬坊日信上人(小池英淳上人)の本葬儀が12月18日、林昌壽師(富士宮市代信寺住職)を導師に行われ、僧侶檀信徒約300人が参列した。
英淳上人は昭和19年に出家得度し、昭和51年に同寺の法灯を継承して以来、日蓮宗専任布教師をはじめ静岡県中部法華和讃振興会の初代会長、大本山身延山久遠寺の執事として法要部長、庶務部長などを歴任し、宗門に多大なる貢献を果たした。また対外的には保護司を永年つとめた。書道の大家として書道教室「雄伯書院」を開き、『妙法蓮華経写経セット』の写経手本・手引きの執筆や監修、『日蓮聖人伝絵巻』の絵詞の執筆、『紺紙金泥一字宝塔写経』の発行などに携わった。また境内書院や庫裡改築などを行い、日蓮宗管長表彰をはじめ数多くの賞を受賞している。
当日、隆通住職は謝辞で「皆さまのお唱えいただいたお題目により、恭敬坊日信上人が光明に包まれているようすをイメージすることができ、感激いたしました。先代上人は、恭しく敬うこころの大事さを、今なお私に教えてくださっているのではないかと思います」と述べた。
その後、市内のホールで「偲ぶ会」がひらかれ、約二百人の僧侶檀信徒が参加し、先代上人の遺徳を偲んだ。遺弟の内藤英覚師(山梨県蓮性寺住職)はあいさつで「弟子にしていただいてから34年、先代上人には兄弟子隆通上人と分け隔てなくご薫陶をいただき、時には厳しく、そして優しい言葉でここまで導いていただきました」と語った。
大阪和泉 北村日照上人本葬儀
【大阪和泉】11月8日遷化なされた櫛笥寺第45世北村日照(一妙院日照)上人の本葬儀が12月18日ホテルリバティプラザで執り行われた。京都の本山本法寺瀬川日照貫首を導師に迎え、法縁・管内有縁の僧侶並びに保護司・社協関係、警察関係、多くの会葬者が参列した。
北村日照上人は昭和28年に櫛笥寺住職承認、昭和40年には念願の本堂・庫裡を再建し、平成25年には櫛笥寺創立520年記念納骨塔建立した。
宗内では和泉宗務所長二期、専任布教師、常任布教師、近畿教区副教区長、和泉社会教化事業協会会長、近畿社会教化事業協会代表者会会長、和泉宗務所協議員議長など数多くの責務を務め、700遠忌には宗務所長として陣頭指揮をとり、和泉管内寺院総出仕の元、小沙弥法要を厳修した。宗外では堺市仏教会会長、大阪府仏教会副会長や法務省保護司近畿地方保護司連盟会長、全国保護司連盟副会長を務めた。長年の保護司の活動により国から藍綬褒賞、勲五等瑞宝章を賜り、また青少年問題や犯罪被害者支援、安全な町づくりにも力を注いだ。その他警察の少年補導員、防犯協議会等、様々な重責をつとめ、社会に貢献した。
その功績から日蓮宗綜合財団賞、日蓮宗一級法功賞、法務大臣表彰、警察庁長官栄誉金賞表彰、堺市功績者表彰、本葬儀には従六位を賜るなど、その他数々の感謝表彰を受けた。