論説

2017年11月20日号

子どもは仏さまからの預かりもの

 本紙9月20日号「こどもたちのこころ、すくすく育ってます」では、今年夏に全国で開催された修養道場が特集された。
 写真に載る子どもたちの光る笑顔や真剣な眼差しに加え、添えられたコメントから、それぞれの管区、組寺、寺院の特色ある取り組みを通し、仏の子らが誕生し成長する姿が眩しかった。
 宗祖降誕八〇〇年事業の大きな柱の1つである青少幼年教化寺院八〇〇ヶ寺推進活動に関し、全寺院にアンケート調査が実施され、すでに517ヵ寺では修養道場を含めた取り組みを展開し、1150ヵ寺が、青少幼年を対象とする教化活動への意欲を示しているという。(平成29年3月2日現在)
 修養道場は、ふだん寺院や仏教に縁が遠い子どもたちも気安く参加でき、また、子ども同士あるいは、ママ友など親のネットワークにより、幅広い縁がつながることも可能である。
 筆者の預る小寺でも毎年、修養道場を開催し、これが縁で「子どもたちの情操教育につとめる民間人」として地元教育委員会主催による公立小中学校の中堅教師研修会に招かれた。
 基調講演では、食事時の合掌に込められた3つの意味・善悪について・道徳と仏教の違い・保護者からのクレームに対する仏教的対応などを話し、これを受けてグループワークを実施し、発表そして講師による指導という内容である。中堅教師の方々ゆえ、比較的年齢も若く僧侶の話を聴く機会もほとんどないとの事だったが、とても真摯で懸命さが伝わる研修であった。
 実は1年前の夏、管内の学校卒業生と在校生が、傷害致死事件に関与し、子どもはもちろん学校関係者、保護者、地域社会で「いのち」について直向きに考えるようになった痛ましくも悲しい経緯があった。
 新聞などの報道を見ると最近ますます子どもの置かれる状況や取り巻く環境が切実で厳しいことが伝わってくる。
 「文部科学省は、いじめや保護者とのトラブルへの対応について、学校の求めに応じて法律上の助言をする弁護士『スクールロイヤー』の仕組みづくりを進める」(『朝日新聞』8月24日夕刊)
 「虐待を受けているとして全国の警察が今年上半期(1~6月)、児童相談所(児相)に通告した18歳未満の子どもは3万262人だった」(『朝日新聞』9月21日夕刊)
 また、福井県公立中学校では、2年生の男子生徒が校舎から転落し死亡する問題があり、「男子生徒の担任と副担任が厳しい叱責を繰り返し、追い詰められて自殺に至った」と調査委員会の報告が発表され、同委員会の松木健一・福井大大学院教授は「叱責を繰り返したことは指導の範囲を超えていた」ことを報じている。(『読売新聞』10月16日)
 しかし同じ福井県にある本宗寺院では、学生時代に随身していた寺の住職から、「子どもは仏さまからの預かりもの。縁あって授かった子どもを大切に育て、成長すればまたお返しをするんだよ」と教わり、自坊で毎年、11月のおえしきに合わせ乳幼児や青少年を対象に「鬼子母神弟子入り祈祷」を行っている。
 弟子入りした子どもたちへは、20歳になるまで鬼子母神さまから誕生日カードが届く。もちろん子どもたちも、お寺からの葉書だと分かっていても嬉しいという。そしてまた、親にも担任の先生、誰にも話せない悩みを聴いてもらいに寺を訪ねるとのこと。
 絶望とは、全てのつながりが絶たれた状況である。生きとし生けるもの全てにつながる仏縁を結びつづけねばならない。
(論説委員・村井惇匡)

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2017年11月10日号

待ち望まれたこの世での成仏

もともと仏教では、個人が成仏できるか否かは、ただひたすらにそのひと個人の精進努力(修行)の如何にかかっていた。仏教の開祖である釈尊も、当初は個人の修行だけで成仏されたと考えられていた。ところが釈尊の過去世における修行を描いた本生譚(ジャータカ)の探求を通して、釈尊が遥かな過去世においてスメーダという名の修行者(菩薩)であったとき、燃燈仏(ディーパンカラ)という名のブッダから未来世における成仏の予言(授記)を得ていたことを契機に、〝成仏するためには、先達のブッダより授記を得なければならない〟と考えられるようになった。このような考え方を「授記作仏」といい、以降、仏教における成仏理論の中心は、この授記作仏となった。
仏教には大きく分けて、「成仏を目指す・目指せる立派な乗り物(教え、歩み)」としての「大乗仏教」と、「成仏を目指さない・目指せない劣った乗り物」としての「小乗仏教」が存在する。仏教が「ブッダの説いた教え、歩み」であるとともに、「ブッダに成るための教え、歩み」であるならば、仏教は本来的に、全てが大乗仏教であったことになる。そうであるにも関わらず、なぜ小乗仏教が誕生してしまったのであろうか。その最大の理由は、『阿含経典』(いわゆる『小乗経典』)には、仏弟子に対する成仏の授記が示されていないことに求められる。舎利弗や摩訶迦葉に代表される仏弟子たちは、釈尊の弟子としてその声を聞いてはいても(声聞)、成仏できるとの授記を得ていないことから、個人の精進努力だけで到達できる最高の境地「阿羅漢」という位に留まらざるを得なかった。仏教徒たちが成仏するためには、彼らに成仏の授記を与える釈尊の導きがどうしても必要であった。大乗経典が誕生するに至った根本的理由は、この「成仏の授記を与えてくれる釈尊の導き」が切望されからに他ならない。
最初期の大乗経典を代表するものが『般若経』である。『般若経』では、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という6つの徳目を完成(波羅蜜)させることを通して、万人が成仏できると説かれ、ここに全ての仏教徒は、「六波羅蜜の修行を通した成仏の授記」を得ることとなった。しかし、いかにそれが万人への授記とはいえ、「歴劫修行して六波羅蜜を完成させること」という、極めて難しい条件が付されており、実際には誰もが実践できるものではなかった。そのため、後続の『無量寿経』では、10回念仏するだけで死後は極楽世界へと輪廻転生(往生)し、そこで阿弥陀仏に導かれて成仏できる、との授記が与えられることとなった。『般若経』と比べるとき、十回念仏するだけというのは著しい易行ともいえるが、この世における成仏は放棄しなくてはならない。仏教徒は、「自分でも実践できる修行で、この世で成仏できるという授記」を待ち望んだ。そして満を持して登場してくるのが『法華経』なのである。
『法華経』はその第2章「方便品」において、万人が、自分に合った修行を実践することで、例外なく成仏できることを保証する。その中にはきちんと題目受持も入っている。第3章「譬喩品」以降、釈尊は舎利弗をはじめとする阿羅漢たちに次々と授記を与え、ついには第10章「法師品」において、この『法華経』を受持し、歓喜する者全員に対し、例外のない成仏の授記(総授記)を与えてくれている。『法華経』、そしてお題目の受持は、仏教史によっても確認される、成仏への大直道なのである。  (論説委員・鈴木隆泰)
(直道=仏道の悟りに到達するのに最も近い道のこと)

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2017年11月1日号

墓じまい? ちょっと待って

今年8月東京ビッグサイトで「第3回エンディング産業展2017」と「ジャパンストーンショー2017」が開かれた。エンディング産業展は葬祭業・墓苑・寺社仏閣・宗教用具業界など「終活」に関連する産業展、ストーンショーは石材専門産業展のこと。参加した320社中、特に注目されたのが袈裟をまとった人型ロボット僧侶「ペッパー導師」だった。ロボット僧侶が木魚を打ちながら読経や法話する姿に人が集まる。何とも言えない光景だった。菩提寺を持たない人、檀家制度に縛られたくない人のニーズに応えたもので、各宗派の読経が可能。ANNによるロボット僧侶の賛否を問う調査(男女50人)では「賛成」17人、「反対」33人だった。
供養部門では「バルーン宇宙葬」や「ダイヤモンド葬」が目を引いた。バルーン宇宙葬とは直径2㍍ほどのバルーン(気球)に全遺灰を入れ、地上35㌔㍍の成層圏で散骨する方法。全国どこでも好きな場所や時間が選べ、法律上の問題もクリアし特許も取得済とのこと。ダイヤモンド葬とは、全遺骨を粉末化し炭素以外の成分を薬品で取り除いて造った人工ダイヤモンドによる手元供養。指輪やネックレスなどの装飾品が展示されていた。自然環境に恵まれた国スイスで制作している。会場には様々な最新終活情報が溢れていたが、信仰的に違和感を覚えるものが多かった。今後は仏教的・教義的な判断も必要になると感じた。
ところで同時期、全国20~70代の男女1千人を対象に葬祭業者・大野屋が「供養に関する意識調査」を公表した。「日常的な寺院・神社・教会等へのお参り」の質問に「大切に思う」26・6%、「大切だが何をしていいかわからない」18・4%だった。これに対し「墓参り」について「大切に思う」57・8%、「大切だが何をしていいかわからない」15・4%、「葬式」について「大切に思う」52・4%、「大切だが何をしていいかわからない」27・5%という結果だった。また「自分に対して葬儀する」の質問に41%が賛成だったのに対し、「両親に対して葬儀する」は70%と高く、「自分の墓を建て墓参を希望する」42・9%、「両親に対して墓を建て墓参を希望する」67・8%と同様の結果だった。このアンケートから宗教心や信仰は低いものの、葬儀や墓に対する意識は失われておらず、自分の葬儀や墓参りは望まなくても両親に対しては70%の人が積極的だった。
最近、継承者の不在や将来子どもたちに迷惑かけたくないという理由から墓じまいを希望する人が増えたと聞く。確かに少子化などにより墓の後継者が困難な時代となったが、先祖代々の墓を継承したり墓を建て次世代に残すことが本当に「迷惑」なことなのだろうか。墓の継承という負担の代償に、それ以上に大切な何かを失わないだろうか。
今、生きる意味や目的が持てない若者が増えているという。その原因の1つに「人生の終焉」を考えないことが指摘されている。私たちは「死」というゴールを考えた時、初めて「いかに生きるか」の答えが導き出される。墓は故人の供養はもちろんのこと、死者と対面して死を感じ「自分が生きていることを実感できる場所」でもある。また先祖と対面することで子孫として自分の存在を実感できる場所でもある。葬儀・墓に対しては親子間で互いに思いやるあまり意識のズレがあるというアンケート結果だった。安易な墓じまいは控えて欲しい。それでもという場合は住職に相談してから決めていただきたいと願っている。  (論説委員・奥田正叡)

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