日蓮宗新聞
2017年10月20日号
国内初の教区大会開く・山静教区で
国内初となる日蓮聖人降誕八百年教区記念大会を山静教区(齋藤紳悟教区長)が山梨県総本山身延山久遠寺(内野日総法主=日蓮宗管長)本堂で9月28日に開催した。参列した教区内の僧侶檀信徒約1千人は大導師を務められた内野管長とともにお題目を捧げ、先陣を切って日蓮聖人の降誕から800年の節目をお祝いした。
開会前には、静岡四青年会の唱題行脚や教区内万灯講の練行列が行われ、聖地・身延山内を賑やかした。井上瑞雄身延山久遠寺総務は、開式にあたり「異体同心でお題目を唱えることは、誰よりも日蓮聖人がお喜びになられる」と歓待を意を表した。塚本智秀常任布教師のご一代記や次代の日蓮宗を牽引する宗門子弟の子どもらがご宝前に歩み出ての献灯献華、修法師の修法が行われた後、雅楽の音が鳴り響き、音楽大法要が開始。合わせて僧侶の美しい声明が慶事を彩ると、堂内は降誕の祝賀に包まれた。内野管長は慶讃文で、「世界平和・人類の幸福を祈念し奉る」と述べられ、立正安国、皆帰妙法のご遺命に応えることを誓願された。また御経頂戴をされた後の挨拶で、国内初の教区大会の開催を喜ばれるとともに、世界で発生している争いで多くの尊いいのちが失われていることを悲しみとともに言及され、参列者と一緒にいのちある限り久遠の平和の実現のため、頑張っていきましょうと激励された。
ほか、唱題行や清興として橘雅友会の舞楽「賀殿」が奉納され、盛況のうちに幕を閉じた。参列した吉岡吉山梨4部檀信徒協議会長(76)は、「約800年前に生まれられた日蓮聖人の艱難辛苦の連続だった人生に少しでもあやかり、私たちは立正安国のために前向きに生きていかなければならないと改めて感じさせられ、意義ある大会となった」と述べた。
今年、5月にマレーシア・ペナンで始まった日蓮聖人降誕八百年記念大会だが、国内では初となった聖地・身延山での山静教区大会。本堂での大会だったため細心の配慮が必要だったが、講話・法要・唱題行・舞楽を主としたシンプル・基本的なプログラムは参列・出仕した僧侶檀信徒ともにお祝いと報恩感謝に一心できる内容となり、最高のスタートを切った。今後、残り10教区と1国際布教拠点での大会が開かれるが、大いに期待したい。
2017年10月10日号
金沢日蓮聖人銅像が100年
石川県金沢市内の卯辰山にある日蓮聖人像が建立から100年を迎え、金沢日蓮聖人銅像護持会(張田珠潮会長)は10月1日に記念法要を山内の善妙寺(代務住職=張田会長)銅像前で営んだ。前日の9月30日には、金沢万灯講による万灯練供養も行われ、加賀百万石の城下町に法華の音色とリズムが響いた。
金沢では50年前まで、万灯練供養が行われていたが、参加者の減少で中止されていた。今回の100周年に合わせ、万灯講の復活の機運が高まり、檀信徒や一般参加者が練習を重ね、昨年、半世紀ぶりに金沢の町に万灯のあかりをともした。正当の今年は参加者が昨年よりも増え、さらに神奈川県安立寺の万灯講中が行列に加わった約150人が国道や茶屋街を賑やかした。参加女性の1人は、「50年前に行われていた金沢の文化に参加できてうれしい。今後は私たちが守っていきたい」と声を弾ませた。また万灯講復活の中心となった諏訪木孝啓石川県第1部青年会長は、「もともと火消しの文化発祥は金沢といわれている。その金沢に万灯講がないのは寂しかった。法華の文化がこんなにも明るく前向きなことを金沢の人たちに教えたい」と思いを語った。
金沢市卯辰山の日蓮聖人像は日清・日露戦争の英霊を供養するために発願され、大正7年(1917)に完成した。青銅製で高さは5・3㍍。台座を含めると約13㍍になる。日本海を向き、金沢や海上の安全を見守ってきたが、化粧直しでの調査の際、銅像足元の風化により倒壊の可能性が指摘され、大改修が昨年行われた。また新しく灯篭が建立されるなど、環境整備と修復もなされた。銅像の修理を手がけた業者によると、「1千年は保てるような構造に改修できた」と胸を張る。
金沢日蓮聖人銅像建立100周年慶讃法要に先立ち、石川県第1部青年会を中心に藤井教祥全国日蓮宗青年会長をはじめとする全国からの青年僧約30人が金沢市内で行脚し、報恩と喜びのお題目を響かせた。
一龍斎貞鏡師が日蓮聖人ご一代記の一場面を講談した後、日蓮聖人降誕八百年を記念した管区大会も合わせて新井日湛千葉県大本山中山法華経寺貫首を導師に法要が営まれた。慶讃文では永田道生石川1部宗務所長が日蓮聖人の降誕、新井貫首が銅像100年に込められた檀信徒の法華信仰を讃えた。張田珠潮会長は、修復費用を寄進した檀信徒へ謝意を表し、「金沢に根付く法華信仰の象徴として50年、100年と未来まで銅像を引き継いでいきたい」と覚悟を述べた。
参列した檀信徒の1人は、「100年もの間、金沢を見守ってくれた銅像をさらに若い人、次の世代につなげたいと思い寄進させていただいた。日蓮宗と檀信徒一体となって今後も守っていきたい」と金沢法華信徒の誇りとなっていることを語った。
2017年10月1日号
第747回龍口法難会営む
神奈川県藤沢市本山龍口寺(本間日恩貫首)の第747回龍口法難会で、計約8千袋の牡丹餅が参拝客に撒かれる「牡丹餅供養」が9月12日に行われた。法要で日蓮聖人のご法難を偲びお題目を捧げた後、難除けのご利益があるといわれる供養にあやかろうと、堂内いっぱいの参拝客が、桟敷から撒かれる牡丹餅を両手を天井に向けて求めた。
牡丹餅供養は、文永8年(1271)に日蓮聖人が遭われた龍口法難に由来する。法華経による国づくりを幕府に訴えられた日蓮聖人は、逆に悪口の咎で捕らえられた。龍口の処刑場への途上、桟敷に乗った尼が日蓮聖人に黒胡麻の牡丹餅を供養したという言い伝えがある。この故事により古来、同寺の龍口法難会に合わせ、講中が集まり拵えた供養の牡丹餅を捧げてきた。今年は、「最初牡丹餅結社」(藤田和重講元)と「牡丹餅講橘結社」(近藤久満・軽部勝彦両講元)2講中が牡丹餅を奉納。藤田講元は、「みんなに少しでも幸せを持ち帰ってもらえれば」と目を細めた。
また龍口寺総代も務める近藤講元は、「もし日蓮聖人がここで首を斬られていたら、今の日蓮宗はなかった。それを忘れている人が多い。龍口寺と法難を知ってもらうために町と一緒にいろいろしていきたい」と述べ、「それと750年を迎えるあと3年は牡丹餅も一生懸命作り続けるよ。もう81歳だしね」と笑った。夜には24講中が万灯奉納を行い、町は熱気に溢れた。龍口法難750年は平成32年に迎える。