論説
2017年9月10日号
慈悲と平等と平和で立正安国を
文明開化と共に富国強兵が叫ばれ、やがて戦争へと向かっていった明治から昭和にかけて、国民も政府の動きに同調して協力、官民一体となって進んできた。昭和に入って軍隊の力がより強力になり、宗門もまた国家を最優先とした軍国主義の国策に、法華経や日蓮聖人の教えまで都合のいいように解釈し、僧侶檀信徒に対してもそれに従うように指示してきた。僧侶も檀信徒も国家の方針を宗門のあるべき姿であると受け入れ、国家神道をも何ら疑うことも許されなかったのである。
こうした状況は本宗に限らず、どの既成教団もほぼ同じであった。宗門の指導者たちは、戦争への道をひた走る国家体制を全面的に受け入れ協力した。宗門人の中にそれを危ぶむ者がいなかったわけではないが、そうした意見はまったく無視され、時には教えに背く者として責められた。実に暗黒時代が戦争終結の日まで続いてきたのである。
そして昭和20年8月15日を境に状況は一変し、悪夢から覚めたかのように本来の教えに立ち返ったのである。軍国主義から民主主義日本を目指す国の方針に沿って歩むようになった。法華経の教えと日蓮聖人の教えを正しく理解し、「立正安国」の理念を実践するため「世界立正平和」を掲げ、宗門連動として全国に奨励し展開していった。戦争の罪悪を糾明し犠牲者を追憶し、正しい法華経の信仰は立正平和運動にあり、核兵器廃絶と被曝者援護を目的に、管長自ら先頭に立ち全国的に動員をかけて大会が開催されていった。「立正安国」と「立正平和」は言葉として活字として、また常に基本的な信仰理念として活動の中心となってきたのである。
しかしながら、戦後台頭してきた新興教団の急激な跋扈が、昭和40年頃から目立つようになった。そこで宗門は、檀信徒が日蓮宗の宗徒であるという自覚を深めるようにと、各地で統一信行会を実施するようになった。立正平和運動の名は総弘通運動へと移行し、檀信徒の正しい信行の確立と仏子たる自覚と使命感を目指したのである。その後、何度か運動の名称は変わったが、理念とするところは「立正安国・世界平和」であることには変わりはない。スローガン「合掌で光を」も「いのちに合掌」も、世界の人類全てが平和であることを祈っての行動規範である。
最近、世界の動きは平和とは言いがたい状況にある。日本もそうした世界の情勢の中にある。戦後72年たってまたぞろ戦争中を思い起こさせるような状況が見え隠れしてきたが、決して再び戦争が起こるようなことがあってはならない。法華経は慈悲と平等と平和が説かれており、日蓮聖人の目指す「立正安国」も国や人々が安穏であることを願っての教えである。
平和のシンボル「合掌」を忘れず、2度と政府の意志によって信仰の本旨が変えさせられることがないように、戦後歩んできた本宗の足跡を今一度見つめ直したいものである。(論説委員・石川浩徳)
2017年9月1日号
「いのちのおはなし」
太平洋戦争を実際に経験し、以来ずっと「いのち」と向き合って「いのち」について私たちに語り継いでくださった方が、また1人旅立たれた。聖路加国際病院名誉院長、文化勲章受章者の日野原重明先生である。
105歳。長きにわたり現役の医師として、現場に拘った方である。園長である私が、幼稚園の子どもたちに「小さな虫にも野に咲く花にもみんなにもあるよ。目に見えないけれど、たった1つの1番大切なものってなあに?」という質問を切り出し「いのち」の話をするようになってから、ずっと拠り所にしている絵本の著者が日野原先生である。『いのちのおはなし』(講談社刊)は、「-95歳のわたしから10歳のきみたちへ-」と副題がつき、教室の子どもたちに、互いの心臓の音を聴診器で聴き合い、命についての気付きをみんなで考えていく授業を絵本にしてある。
このあとがきに、「いのちとこころ」として、〝「いのち」は誰にも平等にあります。命を無駄にしないということは、時間を無駄にしないということです。人が生きていく中で、もう1つ大事なことは「こころ」です。お互いの手を差し伸べあって、一緒に生きていくこと。自分以外のことのために、自分の時間を使おうとすることです。「いのち」やいのちをどう使おうかと決める「こころ」は見えませんが、みえないものこそ大切にすべきです。私の時間は残り少なくなってきましたが、自分の時間を他の人のために使って精一杯生きたいと思います。〟と書いている。日野原先生は、戦争を語る人の中でもすでに当時成人しており、医師として戦火の現場で自分の時間を人を救うことに使っていた人なのだと思うと、訃報は残念でならないという思いと、信念を全うされたことに心から敬意を払いたい。
終戦の年(昭和20年)11月の日本全国人口統計データで、(沖縄を除く)男女別世代ごとの人口ピラミッドを見ると、えぐり取られたような形が、20代30代の男性層に見られる。その形が示すのは、戦前戦後の急激な人口減で227万5000人と推定される。つまり、その世代のほとんどの男性が、戦争によって死亡したと読みとることができるのである。現代に置き換えて考えても、ほとんどの人が健康で、働き盛りで幼き子どもたちの父親たちが多く属す年齢層。その男性たちを喪った日本の悲しき事実がある。戦後この経験から、日野原先生たち残された同世代男性が、亡き人たちの志や無念を引き継ぎ、リーダーシップをもって日本を再生してくれたのだと思う。
昨年、「老人が始めた戦争で死ぬのは若者」と題した特集を読んだ。今、日本が直面している外交政策で、戦争を知らないわがが国のリーダーは、時間を無駄に費やすことなく国民の声を聴き、自分の時間を他の人のために使って懸命に生きてくれているのだろうか? 今後も平和を維持するために、日本国憲法の根幹ともいえる大切な議論が行われる。私たちがたくさんの悲しい犠牲によってもたらすことができた平和を、どのように考えていくか私も自分のいのちを活かしたい。
仏教は、合掌という所作で、感謝や敬意など見えないものを形にして表現をする。特にわが日蓮宗では「いのちに合掌」をスローガンに掲げ、「今、目の前にいるあなたを一番大切に敬います」という但行礼拝の精神を持って世界平和への働きかけを目指している。今読んでくださっている新聞を置いて、実際に合掌をしてみて下さい。合わせた右手と左手には、武器は持てないということを実感していただきたいから。ならぬことはならぬものなのである。
(論説委員・早﨑淳晃)