2017年9月20日
アッサジに学ぶボサツの行い
後に成道してブッダになった釈尊がまだ太子シッダールタだった時、出家しようとした太子のことを心配した父の浄飯王は、監視役として5人の者を太子に随行させた。
シッダールタ太子は6年に亙って苦行を重ねたが、「苦行は本当の悟りを得る道ではない」と知り、苦行林を離れ、尼連禅河で沐浴し、村の娘のスジャータの供養した乳がゆを食べ、菩提樹の下で静かに禅定に入り、悪魔の妨げをはねのけ、悟りを開き、遂にブッダになった。12月8日の早暁であったと伝えられている。
父王の命で付き従っていた5人の比丘は、苦行を放棄した太子を見て、太子は堕落してしまったと誤解して随行の任を離れ、鹿野苑に去っていた。
悟りを開いたブッダ釈尊は、鹿野苑にいる五人の比丘たちを訪れた。釈尊が近づくと、堂々としたたたずまいを見て畏敬の念を抱きこそすれ、まだ誤解を解くに至らなかったが、その説法を聞いて、遂に弟子になった。これが釈尊が悟りを得て初めての説法、初転法輪である。
釈尊の十大弟子の1人として有名な舎利弗(しゃりほつ)はその頃、道を求めて修行の身であったが、なかなか目的にかなう指導者がおらず、悶々としていた。
ある時王舎城の街角で托鉢している1人の修行僧を見かけた。その立ち居振る舞いを見て一目で心を打たれ、師は誰であるのか、どのような教えを説かれているのかを尋ねた。その修行僧は、師は釈尊であること、そしてその教えの一端を話した。
舎利弗はそれを聞いて感激し、親友の目連を連れて、信徒250人と共に釈尊の弟子になった。
舎利弗を導いたこの修行僧こそ、浄飯王が太子の随行として遣わし、途中誤解して離れていったが、遂には初転法輪の教化を受けて弟子となった五比丘の1人、アッサジであった。
「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)とは釈尊の金言である。私たちはついつい人の姿形に引き付けられたり、言葉に惑わされがちなものであるが、人や言葉ではなく、本質を見抜き、真実の教えに従わなければならないと釈尊は教える。しかし一方、真実の教えを私たちに教え悟らせてくれるのもまた人であり、人の語る言葉である。
真実は、単に概念的に存在するのではなく、人の姿形や言動、社会の現実の姿に具現化されて初めて真実であることが証明されるものであろう。科学の理論が、実験によって証明されて初めて正しいことが衆目に示されるようなものである。
アッサジの立ち居振る舞いと言葉には、釈尊の教えのエッセンスが表現されていたからこそ、求道の師、舎利弗の心を動かしたと考えたい。語られた言葉の一端は、経典を読むことによって類推することができるが、どのような声とどのような表情で語られたのか、また、どのような姿形で街角を歩まれたのか、心惹かれる。
法華経に出てくるボサツの代表に、地涌(じゆ)のボサツたちがいる。その先頭に立って私たちを導いてくれているのが日蓮聖人であるが、実はこの世にはたくさんのボサツたちがいて、日蓮聖人と一緒に私たちを導いてくれているのだという。お題目を唱える私たちは、そのボサツの仲間に他ならないと日蓮聖人は励ましてくれている。
もし私たちが地涌のボサツの1人であるならば、私たち自身、どのような行い、どのような言動をすべきなのだろうか。そのことを考える時に、アッサジの事例があるべき方向を指し示してくれているように思う。
(論説委員・柴田寛彦)