論説

2017年6月20日号

「墓・寺じまい」となる前に

 宗教法人を隠れ蓑にした犯罪が横行している。最近も、産廃業者と結託して境内に残土や廃棄物の違法投棄をするという事件が報道されたばかりだ。報道では大阪府河内長野の寺とされていた。
 事件を知った多くの人たちは「寺が悪いことをした」と思ったに違いない。実際その通りなのだが、テレビの画面で見る限り住職は外国人だったし、寺らしい建物は皆無であった。おそらく休眠法人が犯罪者に乗っ取られたのではないかと推測できる。
 このような犯罪を日蓮宗寺院の名を使って起こされる可能性も高い。即ち、過疎地などを中心に増えている住職のいない寺の問題だ。
 かつて、師僧は2つの教会を布教拠点としていたが、その1つを管理していた女性が老齢となり、解散することになった。師僧に言われて解散手続きを始めたのだったが、これがなかなかやっかいな仕事で、司法書士の助けを借りても最終的に解散が認可されるまで一年を費やした。後日、ある組織がこの教会に目をつけていたことがわかった。正に危機一髪だった。
 この事件は宗教法人に対する税制上の優遇措置が狙われたことが要因だ。純粋な布教活動に専念している寺にその危惧はないが、無住(住職不在)状態が長く続く法人は、面倒でも解散などの手続きをしておかないと暴力団や過激な団体の手に渡る恐れがある。宗門の名誉のためにも迅速な対応が求められる。
 この手続きを老齢の方が進めるにはかなりご苦労される。その時には宗門がバックアップするなどの体制を取っていただきたいものだ。
 ところで、このような極端な犯罪に手を染めなくとも、寺と僧侶への目は厳しくなっている。直葬や墓じまいに代表されるように寺離れが急速に進んでいるのもその現れではないか。いずれも金銭的な負担が大きいとの考えから起きている。現状を既に負担と考えている人たちが多いというわけだ。幸いにしてこの人たちは先祖供養まで否定しているわけではなさそうで、寺としては安心しているのだが、先祖供養しかしない寺への反発も見受けられる。
 遅きに失した感があるが、「墓じまい」が「寺じまい」になる前に檀信徒や世論に支持していただく努力が求められる。
 ところが、こういう現実に対して存外、危機感が少ないのが僧侶仲間だ。自分の寺は大丈夫などと言わず、仏教界全体の問題としてとらえていただきたい。その際、社会の現実を見極めるためにも、最前線で活躍しているさまざまな業種の方々と知り合うのが良い。檀那寺の住職としてではなく互角の立場で話し合うことだ。社会が寺と僧侶に何を期待し、何に失望しているのかがよくわかる。そこに自らメスを入れて改革していけば、まだまだ寺への信頼は保てる。
 地域で求められている役職に僧侶が就くのもいい方法だ。保護司、民生委員、町内会長なども適役だ。寺を地域に開放することなどは難しいことではない。日常茶飯事にすれば良い。
 以前にも書いた覚えがあるが、寺と僧侶が公益に寄与していない上に、優遇税制を利用して金儲けを企む連中が横行しているとなれば、宗教法人そのものへの見直しが求められるに違いない。 これらの全ては人々の仏教そのものからの離脱につながっているとも言える。2千600年近く続いた釈尊の教えを、わずか数十年で滅ぼしてしまうという罪を、我々が犯そうとしている。これに勝る謗法はない。
(論説委員・伊藤佳通)

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2017年6月1日号

賢治のさまざまな側面の根底

宮沢賢治が昭和8年(1933)9月21日、今日の岩手県花巻市豊沢町において、数えの38歳の生涯を閉じて、今年85年忌を迎えます。賢治を詩人であり、童話作家と見なすのであれば、文学作品を観賞し、評論を加えることが、最も適した評価方法でありましょう。けれども、38年の生涯は、「文学者宮沢賢治」という枠では、けっして捉えたことにならないように思うのです。また、賢治の万華鏡のような輝きをもった魅力を語ったことにもならないと思うのです。
たとえば、文学者以外の側面をたずねてみますと、賢治は旧制盛岡中学校卒業後、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)へと進み、また関豊太郎教授の指導を受けています。そして、しばしば教授とともに地質調査に出向いています。それらの研究論文は、今日も岩手大学農学部の農業教育資料館に保存されています。そのことからも、賢治は化学者として地質学、土壌学の才能が豊かであったことが知られます。
幼少年の頃には、彼が育った花巻の豊沢川や北上川の岩石などに興味をもち、のちに彼が地元の教師時代、北上川の西岸の地層がイギリスのドーバー海峡と同じであったことから「イギリス海岸」と名づけていることは有名です。そして、彼の地質学や肥料学等の才能は、地元の稗貫郡の農地研究調査へと展開し、賢治が死去する前日、すなわち9月20日の夕刻(夜7時頃)、農家の人が肥料の相談に訪問したことで、病気を押して1時間ほど対応していることからも、賢治は自己の才能を化他行へと直結させているのです。
このように、賢治の化学者としての地質学の一端を垣間見ても、広くて深いものがありますから、この立場は地球からさらに銀河系の宇宙へと連関していることを知るのです。
以上のことから、賢治には、信仰に生きる面、教師として豊かな人物を育てようとする面、化学者として周囲の人びとに奉仕する面、芸術と日常生活とを融合し、日々の生活が求道の日々であるという菩薩道を実践する面、そして個々人の幸福と世界全体の幸福と乖離することのない安穏なる世界を目指す理想主義者の面が見られるのです。
ところで、小学校の時代から「雨ニモマケズ」や『風の又三郎』などの作品に接してきた私は、今日も彼の生き方をたずねつつありますが、その中で賢治の自制心の強さに驚きを感じるのです。賢治は、昭和6年(1931)9月20日、発病し、2通の遺書を認めています。その一節に、自己がいかに慢心(我慢)に支配されていたかを謝罪しています。また『雨ニモマケズ手帳』には、賢治が国柱会の理事であった高知尾智耀氏のすすめで、「法華文学の創作」に専心することを記した中で、「名ヲアラハサズ、報ヲウケズ、貢高ノ心ヲ離レ」と記しています。つまり、賢治の文学活動の根底には、自己の功名心や名誉欲を満たすことなく、また賞賛や報酬を求めることなく、さらに、貢高の心という思いあがった心から離れることを目指しているのです。
今日、私たちが理想を語り、また未来への道を語る場合、ともすれば、その中に我欲を潜ませ、名誉欲を投入しがちです。けれども、あらためて日蓮聖人の61年の生涯をたずね、近くは賢治の生き方に学ぶとき、仏法への帰依がその根底に存していることに、あらためて気づかされるのです。
(論説委員・北川前肇)

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