鬼面仏心
2017年5月20日号
お灯明に火を点ける着火ライター。
お灯明に火を点ける着火ライター。実に便利だ。しかし最近スイッチが堅くて使いにくい。理由は子どもが簡単に使えないようにしたため。なるほどと思いつつ、何か違うのではと思う▼着火ライターは玩具ではない。一歩間違えれば火事にもなる。だから子どもは使ってはいけないし、子どもの手の届かない所に保管するのが正しい対処法。ところがそうではなく、着火ライターの火を点きにくくしてしまったのだ。この対応が私には納得できない▼最近ホームと電車の間にガードを設置する駅が多くなった。高齢者や目の不自由な人を事故から守る安全対策はとても大事だ。しかしガードの設置には大変な費用がかかる。電車は危ないもの。だから十分注意をしようとみんなが気をつけ、声をかけあったらガードは必要ない。危険、だからガードをという対応は、着火ライターと同じではないだろうか▼権利とは、自分の不注意や責任を他に転嫁することではないはず。同時に人間として、社会人として守るべきルールや約束事をきちんと守った上での権利だ。それが大人の社会というもの▼先日、「立ち入り禁止」の線路内で事故に遭った人が、防護柵のないことを非難するニュースがあった。日本中が幼児化していないか。1人ひとりが守るべきルールを守って生きる。それが「立正安国を生きる」ということなのでは。 (義)
2017年5月10日号
「小学生になったのか♪」 朝の通学路、
「小学生になったのか♪」 朝の通学路、久しぶりに〝バナナのおじちゃん〟に会った。娘のランドセル姿を見て喜んでくれた。幼稚園へ入るずっと前、近所の公園で顔見知りになったおじちゃん。ある日ベンチでバナナを分けてくれて、一緒に食べたことが名前の由来だ。すべり台が苦手だった娘は、おじちゃんの声援と拍手におだてられて何度も階段を上ったものだった。娘はうろ覚えのようだが、小さな心を育んでくれた大切な人だ▼「近頃じゃ、へたに声かけると通報されちゃうからな」そんな言葉を聞いた昨今、知らない人どころか、知人にさえ心を許すことが躊躇われる事件があり、子どもを持つ親はもちろん、社会全体が不信感に満ちている。思いやりから出た言葉や行動でさえも、警戒されてしまう世知辛い世の中。 悲しい事件のせいで、せっかくの真心が猜疑心で覆い尽くされてしまうのは残念でならない▼子どもを守るためにはまず疑い、遮断して守りを固める…それも大事なことだ。だが何事も疑うだけでは前に進めない。こんな時だからこそ、子どもたちには人を信じることの素晴らしさをきちんと伝えたい。信じることで前に進めることもある。互いに信頼し、愛された記憶はやがて生きる力になる▼最後に…被害にあった小さな命に、そして加害者の心にも、私たちのお題目が届きますように。皆が一緒に仏になれますように。(蛙)
2017年5月1日号
境内で騒ぐ子たちがいる。
境内で騒ぐ子たちがいる。あまり騒がしいので窘めるために外に出た。「お前たちはどこの子だ?」すると「仏の子だよ」と切り返された。見れば毎月のお経にいった時に「ウチは保育園じゃないって言っているんですがね。いつも娘が孫を預けていくんですよ」と嘆き節が入る檀家の孫だ。「そうは言ってもお孫さんは可愛いでしょう。仏の子ですからね」と答える私の話を聞いていたに違いない▼昨年12月、スイスのバーゼル大学などが、孫や他人の世話をする高齢者は長生きすると発表した。祖父母を、孫の世話をする・しないのグループに分け、更に孫がいなくても他人の世話をしたグループを加え、調査研究した結果だ▼良好な対人関係が築かれて時に分泌される「オキシトシン」というホルモンをご存知だろうか? 今評判の「幸せホルモン」の一種だという。このホルモンは、ストレスを緩和し、幸せな気分をもたらす。孫を抱く時、ペットに触れる時、この幸せホルモンが出て元気になるのだ。スキンシップで心のバランスを整え、無意識に自分自身の心のケアをしていると考えてもいいだろう▼今年の寒修行に、この檀家さんも参加した。訪れたお宅で20歳も若く見られて喜んでいた。「お題目修行のお陰ね」と聞かれて、私は「そうだ」と答えた。仏の子である孫の世話をすることで、幸せホルモンが出て若返ったのだと私は信じている。(雅)