論説

2017年1月20日号

瞑想と菩薩行

平成20年11月、世界仏教徒会議が30年ぶりに日本で開催され、世界中の仏教指導者が一堂に会して、世界的な視野で現代における仏教の課題と役割について話し合った。
主なテーマは、平和と共生、仏教者による社会の開発、末期患者と遺族をケアする仏教の智慧、ジェンダー・イコールな仏教をめざして、自殺という社会問題に仏教者は何ができるか、仏教による人材育成、環境危機の具体策への仏教的対応、等々であった。
いずれも重要な世界的な課題であるが、議論を聞きながら、日蓮宗ではこれらの課題にどのように取り組んでいるのかについて、深く考えさせられた。
宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」は、世界の平和と共生にいかに貢献しているだろうか。ストレスや格差社会を生み出す社会開発に、「立正安国」の立場からどのように取り組んでいるだろうか。終末期医療を含め、生・老・病・死の苦しみに寄り添う活動をどのように展開しているだろうか。男女差別のない社会の実現に向けてどのような努力をしているだろうか。自ら命を絶つという行為は、個人の問題であると同時に大きな社会問題でもあるが、私たちはこの自死・自殺の問題にどのように対応しているだろうか。平和で明るい社会の実現に向けて、社会の人材育成、とりわけ心の教育にどのように取り組んでいるだろうか。地球温暖化を含む環境問題の改善のためにどのように啓発しているだろうか。
参加している世界の仏教指導者の発言を聞きながら、議論に通底する共通項が2つあると感じた。それは、自らの心を仏に近づけていくための修行としての「瞑想」と、個人や地域社会だけではなく世界中すべての人々に安らぎをもたらすための「菩薩行」という2つのキーワードである。そして、この2つのキーワードこそが、法華経とお題目の肝心であると日蓮聖人が私たちに示されたことであったのではなかろうか。
瞑想というと多くの人はいわゆる座禅のようなものを想像するのではないかと思うが、決してそうではない。お題目を唱える唱題行は、瞑想行の有力な方法なのである。すなわち、お題目を唱えるということは、自らの心を見つめる観心修行であり、それによって自らの心が仏に導かれる自行になっているのである。同時にまた、全ての人々の心に成仏の種を植え、仏に導く利他行につながっているのである。そして、お題目を唱えるものは、法華経に説かれる地涌の菩薩として、自然に抜苦与楽の菩薩の行いに導かれるはずである。
こう考えると、いま世界中の仏教徒は、お題目の心の実践に導かれているように思われるのであるが、残念ながら、庇を貸して母屋を取られそうになっている現実を自覚するとき、さらなる布教努力の必要を痛感する。
一方、瞑想については、最近マインドフルネスという心理療法的概念で一般化する向きもある。しかしこれは、唱題による成仏とはいささか質が異なるように思われる。
アメリカを中心に、瞑想という手法によってストレスを低減するという精神療法が注目され、それが最近日本に逆輸入されている。脳波や血液中のストレスホルモンの測定など、科学的手法を用いて、ストレス対策としての瞑想の有効性を示すデータが多数示されている。しかし、心身の健康と成仏とは次元を異にするものであり、心身の健康を即物的な目的としたマインドフルネスを、唱題行による成仏と同じ次元でとらえてはならない。(論説委員・柴田寛彦)

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2017年1月10日号

いつ終わるともわからない苦しみ、福島県浪江町。

いつ終わるともわからない苦しみ、福島県浪江町。原発事故以来、住民が避難生活を余儀なくされてから5年目になった。家を奪われ、あるいは家があっても戻ることはできず、家財道具や思い出の写真も何もかも持ち出せない。住宅がどんどん朽ちていくのを見ているだけの悲しみ。田畑も荒れ放題だ。離散せざるを得なかった家族もいる。原発は、とんでもない結果を残した。
新しい電力エネルギーとして原発を採用することには、当初から賛否両論があった。日本の発展のために、理想のエネルギーとして原子力発電は欠かせないと政府は喧伝した。科学者の中にはもっと慎重にとの声もあったが、「万々が一、災害が起きた場合にも、国民の皆さまに心配をかけないようにしよう。原子炉の設置者に責任を全部集中してしまう。つまり責任が分散しないように、発電会社とか研究所とかそこへ押しかけて行けば、そこが全部責任を取る(中曽根康弘元首相の科学技術庁長官当時の発言)」と言って、原子力発電所は日本各地に建造されていった。しかし、この原則は当事者である東電の経営危機によって機能していないと言われている。
福島原発は、大地震と津波によって、甚大な被害をもたらした。一時すべての原発が止まり、1号・2号・3号とも廃炉にするため処理作業が行われているが、核燃料デブリ(原子炉内の事故で、炉心が過熱し、溶融した核燃料や被覆管および原子炉構造物などが、冷えて固まったもの)の一片たりとも取り出せていないのが現状だ。その上、無人化した町は野生動物の住処となり、田や畑はその面影すらなく、雑木と草が生い茂っている。
事故処理の費用も大きな問題である。NHKの調査によると、7千人の作業者が1人1日2万円で従事しており、一日当たり1億4千万円かかっていて、4年間で2兆5千万円が支出されている。また、廃炉の費用が2兆円、除染の費用が4兆8千億円、16万人もの被害者への賠償金が6兆4千万となり、今までに支払われた費用は、合計で13兆3千億円となっている。すべて私たちが支払っている電気料金から流用するのであるが、それは電気料金の値上げによってまかなわれ、国が肩代わりすると今度は国民の税金で支払われることになる。しかもこれらの費用はさらに増え続けていって、廃炉作業が続く今後40年は終わらないだろうともいわれている。原発事故後に生まれた次世代の国民にまでツケが回ってくる勘定だ。
他の原子力発電所も問題だ。国家プロジェクトとして始まった再処理高速増殖炉「もんじゅ」も事故続きで、1995年にナトリウム漏れで停止して以来使われていないが、1日当たり5500万円もの費用がかかっている。これを廃炉にして「実証炉」という新しい原発を開発する方針を打ち出しているが、設置に1兆5千万円かかるという。
筆者は、原発に関して過去何度も警鐘を鳴らしてきたが、このような状況に至って実に残念に思っている。
原発は、島国日本を取り囲むように海岸に沿って設置されている。地震大国の日本である。津波の被害も憂慮される。これからは、再生可能なクリーンで安全なエネルギーの開発に舵を切ってほしいと切に望んでいる。
(論説委員・石川浩徳)

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2017年1月1日号

ひとつ心をほどくと

新しい年を迎えるには、前の年を越さねばならない。振り返ると、昨年昭和の時代を駆け抜けた多くの人が、この世を旅立った。特に作家で作詞家である永六輔さんの訃報は、彼の活躍を振り返るだけでなく、戦後復興に向けて日本が歩んだ軌跡を思い起こす機会になったと思う。永さんは、昭和8年(1933)東京のお寺の次男として生まれた。歌手坂本九さんが歌って世界的な大ヒットとなった「スキヤキソング」=「上を向いて歩こう」などさまzまな歌を作詞し、高度成長期の躍動する社会に送った。そして今、その時代を生きてきた人たちが、祖父母となり当幼稚園の在園児である孫たちの成長を楽しみに、ここに集ってくれるのだ。
驚くことに、どんな達筆な字や明確な文面よりも、孫のつたない文章、小枝のような字で書かれた「ようちえんにきてね」という招待状が、祖父母の心に火をつけ、代えがたい力を発揮し、みんなが飛行機や新幹線に乗って、全国からやってきてくれる。恐るべし孫力なのである。本年度も在園児数に対して、規制しないと会場に入れないほどの参加者が一同に会する敬老会の行事となった。孫を膝に抱き、嬉しそうにしている姿。世代を超えた繋がりが深まり広がっていくことを期待して、園長の私が選曲したのは、永さんが作詞した「見上げてごらん夜の星を」である。彼は、一貫して戦争反対を訴え続けた人である。祖父母、孫、教師たちみんなで歌うことにした。「見上げてごらん夜の星を 小さな星の小さな光がささやかな幸せを祈ってる 見上げてごらん夜の星を ぼくらのような名もない星がささやかな幸せを歌ってる」歌を通して、会場にいるみんなの心が一体になる感覚を味わいながら、ピアノの演奏とともに時間がゆっくりと流れていく。ぎゅっと孫を抱く手に力が入り、涙する人たちの姿。大合唱のホールは、感動に包まれた。私は、これと全く同じ感動を「南無妙法蓮華経」という唱題の中で感じたことを伝えたい。
唱題行は、湯川日淳上人によって研究開発され普及し、現在求道同願会がその意思を引き継ぎ私たちに唱題行として「南無妙法蓮華経」の題目受持を伝えている。この修行は、黙想する浄心行によって丁寧に身体と息、心を調える。やがて、正唱行に入り導師の木鉦に合わせ題目をゆっくりと唱えていく。導かれるように速度が上がっていく中で、皆の唱題の声と自分の声がぴったりと合わさり、解放された心と身体が参加者と一体となる感覚。これは最後まで続いていく。そして、まるで宇宙の空間に置かれるような壮大な風景の中で心がひとつになっていく実感を、1人ひとりが味わいながら法悦の世界へ導かれていくのである。
今年は、アメリカで新たに1人のリーダーが誕生し、日米にとっても世界にとってもその動向が不安とともに注目される。世界平和は保つことができるのか?大きな転換期になるのかもしれない。
宗門は、平成33年の宗祖降誕八百年に向けて、宗祖の祈願である「世界平和」への意志を引き継ぎ、その事業遂行を活性化させている。ひとつ心をほどいてみると、そこにはさまざまな人びとのさまざまな思いが巡らされている。しかし、新年を迎えた今日、身体と息と心を調え、合唱するように唱える題目によって、ともにいる皆が皆を感じながら、心ひとつに声に出して唱える時、他に代えがたく尊い「皆が共に幸せになってほしい」という祈る心がひとつに重なる。そんな唱題行の実践を提唱したい。
(論説委員・早﨑淳晃)

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新年のご挨拶。

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