ひとくち説法
2016年12月20日号
孝養の実践
本紙、10月1日号妙蓮尊儀750遠忌の紙面に思いをよせ、当日の法要に参列させていただいた者として、改めて宗祖の孝養観に深く敬慕してきた。身延山には奥之院思親閣があり、身延山頂に宗祖は道とてなき山坂を木の根、枝をつたいながら登山され、房州小湊の亡きご両親を遙拝されました。池上本門寺には御母公のご遺髪を手にする払子のご尊像がお祀りされている。すなわち旧国宝「孝道示現のお祖師」である。大孝の霊場小湊妙蓮寺にはご両親の御廟があり全国の緇素の尊崇をお受けになっておられる。
各霊跡を参拝し、人間として最も尊い行い「孝は百行の本」、妙蓮尊儀の750遠忌を期に現代にこそ、一切の人を視ることを仏と思い、宗門運動の「いのちに合掌」、「我深く汝等を敬う敢えて軽慢せず」を実践し、諸人に対し父母を思うが如くありたい。宗祖は「一切の善根の中には父母に孝養するが第一にて候」示されております。(山形県布教師会長・久松玄徳)
2016年12月10日号
辻説法って何だっけ
街の中心部に立ってマイクをもち、道行く人びとに向かって訴える。しばしば辻説法と称される。そして、その担い手は公職選挙立候補者や政治家関係がイメージされることが多い。日蓮聖人が鎌倉の辻々に立って教えを説いたことが広く伝えられている通り、本家はこちらの方なのだが。
先般、有志僧侶たちと機会をもった。「元祖辻説法です」と。無視される思いきや、喜捨箱に近づく人も。墨染めの衣に天台笠のパフォーマンス力だけではなかろう。「いのちに合掌」を世界中の大衆が希求する時代情況が、今ここにあるのだ。遅きに失した、の叱声も感じ取りながら。
他教団友人の語りを思い起こす。「坊さんたちは長い間、寺の中の厚い座布団に座って、何も仕事をせんかった」との門徒の声に発奮して、と。
まはや辻説法は本宗の専売特許ではない。「斯人行世間 能滅衆生闇」(如来神力品)の釈尊の金言は全ての人びとに開かれているはずだから。
(宮城県布教師会長・梅森寛誠)
2016年12月1日号
現在の因・果
先日、かねてからの念願でありました曾祖父の出生地を訪ね、本家筋の方にも会うことができました。
会った瞬間、わが父の弟にそっくりな風貌に感嘆しました。血は争えないものです。
時代や環境の違いを超え、枝分かれした子孫に脈々と受け継がれているものはDNAの仕事ばかりではない何かが深く関わっていると思われます。私の後ろには幾千万もの父母たちがおり、私の先にもまた、幾千もの子孫がつながっております。ちょうど、鎖と鎖をつなげる1つのピースの様に私が生きています。その生き方にすべてが集約され、未来がかかっていると言えましょう。
『開目抄』に「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ」とあります。
苦しい時こそ、愚痴に腐ることなく、柔和忍辱の心で生きぬきたいものです。
(福島県布教師会長・菅原海淳)