ひとくち説法
2016年8月20日号
来世も法華経
15歳の時に法華経に出会い、そこに説かれている真理を求めて50年近くがたちました。何度諦めかけたことでしょう。しかし、不思議に励ましてくれる人に出会い、この歳まで投げ出さずに歩んできました。
法華経には何が説かれているのかを自問自答して、ようやく愛することと赦すことと見返りを求めない生き方を私たちに勧めて下さっているのだと確信するようになりました。
この答えは若い頃に気づいていましたが、知識として知っているだけで、生きる原動力にはなっていませんでした。
心の成長を願って学んできたはずなのに、50年をかけてようやく1段だけ上がることができただけでした。本当に苦笑いするしかありません。
残された時間のすべてを使って償いの行為をしても、余生の罪業は消えそうにありません。来世もまた法華経に値い奉りたいと願うばかりです。
(香川県布教師会長・高岡完匡)
2016年8月10日号
お盆には…
「お盆ってご先祖さまはお墓から家に帰ってるんですからお墓は留守ですよね」と尋ねられました。お盆はご先祖さまを家にお迎えしますからそういうことになります。昔の人は留守のお墓は私たちがお守りしますから安心して家に帰っていて下さいという思いでお墓に参っていました。ですからお盆のお墓参りには留守番という意味がありました。家に誰も居ないことを留まって守ると書いて留守と言います。これは姿こそ見えませんが家には留まって守って下さるご先祖さまがおられるということです。普段家を留守番して頂いているのでお盆くらいは私たちがお墓を留守番しますということです。盂蘭盆とは自分勝手な行いはやがて自分に帰って来るという戒めの言葉です。温暖化など環境の変化に苦しむ私たちはまさに盂蘭盆の状態にあると言えます。命を繋いで下さったご先祖さまに感謝し自分勝手な行い反省し、盂蘭盆にならない生き方を考える時。それがお盆です。
(鳥取県布教師会長・都泰雄)
2016年8月1日号
回向する責任
“歯ぐきより 血の出で髪の 抜けにつつ
原爆症の われ生きつぎぬ”
終戦70周年の昨年5月13日、この歌の作者である島根の大先輩が遷化した。世寿92歳。師は20歳の時、見習士官として赴任していた広島で、爆心地より1㌔の所にあった兵舎で被爆した。
「私の生命はご本仏のご加護と大勢の方々の生命を頂いてお陰さまで生かされている」との想いで
「私にはお題目弘通の使命がある、戦争犠牲者の ご回向をする責任がある」と信心され、戦後70年をまさに獅子の如く生き抜いた。
“僧籍に 七十余年 在りし夫(つま)
法号獅子行院の 如く生きたり” 奥さまの歌にも師の生き様がよく表れている。
お題目弘通の使命と戦争犠牲者のご回向をする責任という師の遺志を、戦後生まれの私たちがしっかりと受け継いでいきたいものだ。
(島根県布教師会長・蔵本知宏)