論説

2016年6月20日号

変化する社会での信仰と負担

 古今東西、宗教が歴史を作ってきたと言っても過言ではない。世界レベルでは現在もまた、最前線に宗教がある。
 さて宗教には死者の供養という、宗教者にのみ託される重要な儀式がある。この分野で再考が必要な事態がおきつつある。
 最近、0葬なる葬儀の方法が取りざたされている。直送で驚いていたところへ今度はゼロ、即ち遺骨を受け取らない葬儀である。宗教学者の島田裕巳氏が提唱したものだそうだ。
 愛知県以西では火葬後の遺骨は一部分しか受け取っていないと聞いていたが、その延長線上に全く受け取らないという選択肢が入ったということだ。
 実は小生も、お返しいただく遺骨について管轄する区役所に尋ねたことがある。すると、「ここでは全骨をお返しすることが条例で決まっている」と教えてくれた。
 0葬の目指すものは墓をなくすことによる、遺族の経済的な負担軽減にある。遺骨がなければ、墓はいらないというだけで、葬儀を不要だと唱えているわけではないことで安心もした。
 以前にもここに書いたが、私たちが供養しているのは遺骨ではなく、それを使って生きてこられた方の魂なのであるから、島田氏の提言はその意味で理に叶っているのではないか。
 墓がなくて良ければ檀信徒の負担が軽くなるだけでなく、寺にとっては墓地が狭くてもたくさんの檀信徒を受け入れることができるというメリットもある。広宣流布の好機だといえる。
 しかし、それができるためには供養の本来の意義を誰もが理解していなければならない。しかし実際にはまだ、遺骨と墓中心の金のかかる供養が主流だ。それによって金銭面という、信仰とは別次元の価値観が仏教離れの一因となってしまう恐れがある。貧しい人に続けられない信仰など社会の役に立たない。
 これらの、現代仏教が抱える諸問題の根源は江戸時代の宗門人別帳による檀家制度にあると考えている。寺と僧侶が、檀家との関係を保つことを布教だという勘違いが始まったのもここからだ。
 この檀家制度の潜在意識は時代が変わっても長い間、僧侶や一般の人たちに残っていたが、最近になって変化が起き始めた。
 ある寺で1年間に約200軒の檀家が離檀したという情報があった。それぞれに理由があってのことだろうが、ようやくにして檀家制度の崩壊が始まったのだ。
 おそらくこの動きは他の寺にも波及するだろう。あるいはすでに、離檀する檀家が増えたり、年忌の数が減ったという寺もあるかもしれない。
 他宗の某寺では将来の運営を心配するあまり、過去の年忌法要の時に建てた卒塔婆が古くなったといって勝手に書き直し、法外な金銭を檀家に要求した。良いアイデアだとでも思ったのかもしれないが今や非難轟々である。かくして仏教は衰退のスパイラルに陥りつつある。檀家制度どころか、仏教崩壊に繋がる恐れすらある。
 最近、寺や僧侶の良い噂を聞かない。人が3人集まれば寺の悪口が始まると、法要後の説法で話したら「いや、悪いのは寺だけじゃありません」と、その場で説法を聞いてくれていた人から慰められた。すでに「寺だけは」という期待はないのだ。
 寺と僧侶は、社会のレベルがどれほど低下しても、価値観の基準をずらしてはいけないことを自らに戒める。2500百年続いた仏法をわずか100年で消滅させる法謗は犯したくない。基準は釈尊と宗祖にある。
(論説委員・伊藤佳通)

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2016年6月10日号

今本時の娑婆世界

(1)娑婆世界とは
「娑婆世界」の「娑婆」とは、梵語「サハー」の音写で、忍耐(たえしのぶ)という意味です。「シャバセカイ」とは「忍土」、我々の住んでいるこの世界のことで、西方極楽浄土などと違って汚れと苦しみに満ちた穢土(汚れた国土)とされている。
でも日蓮聖人は法華経寿量品の教えによって、この娑婆世界こそ本仏釈尊の住む常寂光土であると説きしめされ、末法の現実の穢土である娑婆世界を浄土とすべく、本仏釈尊の魂、肝心の題目を受持する道こそ大切であると歩まれ、人びとにもすすめる生涯をすごされた。
つまり、汚れと苦しみに満ちたこの世の中をそのままに捨ておくのではなく、少しでも仏さまの願っている清らかな世の中にしていく精進の中にこそ、仏の弟子としての道があると歩まれたのだった。
(2)三災を離れ四劫を出でたる
仏教の世界観では、1つの世界の成立から次の世界の成立までの変遷を4期に分けられる。「劫」とはきわめて長い時間の単位で、宇宙の生滅などに用いられ「未来永劫」という言葉はよく知られている。
1、成劫(世界の成立期)
2、住劫(安定存続期)
3、壊劫(破壊期)
4、空劫(空無期)
の4期で、この4期は無限に繰り返され、永久に循環すると説かれる。
そして、その中に大小3種の災害が起こるという。「小の三災」は住劫の終末に起こる刀兵(戦乱)、疫病、飢饉の3種で、これにより人びとは滅び、「大の三災」は壊劫の最後に起こる火災、水災、風災の3種で、これにより世界は破滅するという。
つまり「自然による災害」を、人間自身が引き起こす「人災」との災難が人間に襲いかかる2大災難であり、しかも必ず繰り返され、逃れがたい必然の災害と示されているのが特徴である。
(3)今 本時の
「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたるたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり」(『観心本尊抄』定712)(今、本門寿量品において教主釈尊の久遠常住が顕されるにいたり、この娑婆世界は、火災・水災・風災の三災に破られることなく、成・住・壊・空の四劫の変遷をも超え出た常住の浄土なのである。久遠実成の教主釈尊は、過去の世に入滅されたこともなく、未来の世に出生されることもない、三世常住不滅の永遠の仏である)。「『観心本尊抄傍記』)
「今」とは過ぎ去った過去も今現在も、これから訪れる未来もすべて「今」という時によって成り立っている。「後ろを見るな! 前も見るな! 今を見ろ!」。何をするにも「一所懸命」。この今に、この今の時に全精力をそそいでいく。その積み重ねこそ、今の自分をつくってくれる源であるというのである。
「本時」の「本」とは「本心、本気、本音、本腰、本物、本のつくものはいい」などといわれているが、「中心となるもの。もととなるもの」のことで、私たちの今この瞬間の時こそ、本仏釈尊は私たちを「主の徳と、師の徳、親の徳」の三徳をもって導き教え守られている。それこそ「本時」である。
「ひとり三徳をかねて恩深き仏」と仰せられた日蓮聖人は法華経寿量品にその魂をとどめられた本仏釈尊と、常に共に生きられていたのである。
(論説委員・星光喩)

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