2016年6月1日
中学校国語の教師を度々思い出す。美しい女性だったことに
中学校国語の教師を度々思い出す。美しい女性だったことに加えてもう1つ理由がある。それは、国語の教師であるにもかかわらず日頃から漢字の止めや跳ね、払いは気にしなくていいと言っていたことだ。さらには、点を付け忘れても意味が通じればいいとも。我が意を得たりだった▼漢字は象形文字から派生したと聞いていたから、書き順があることも不思議だった。山の形を真似て「山」という字を書くのに、どこから書いてもいいではないかと、少年時代から思っていた。作家の吉川英治氏は、川を真ん中の1本から書いたとも聞いていた▼ところが昨今の国語教師の採点は厳しい。どう考えても正解の漢字テストに×を付けられる子どもが可哀想だ。字体と字形が混同され、下手な字で書くと正解ではなくなる。希に見る悪筆の小生はそれで5点くらい損をしていたかもしれない▼文部科学省がこれに対する指針案をまとめた。厳し過ぎる教員の採点に注意を促しているのだ。例えば「天」は上が長くても下が長くても可とし「公」は止めも払いも可とする等々。但し「未」と「末」のように意味が違ってしまう字は厳格にとある▼文字の本質は意思を伝えることにある。形にこだわらず肉筆で書くことで文字文化の崩壊を阻止するそうだ。が、手書きの原稿では編集者が苦労するという言い訳が聞こえ、ワープロが活躍する。(寮)