論説

2016年4月20日号

核なき世界への立正安国・お題目結縁運動

■核安全サミット
もしテロに核兵器が使われるようなことになれば、人類はどうなるであろうか?
2001年9・11のアルカイダによるアメリカ中枢同時多発テロ以来、世界中の人びとが不安に思ってきたことであろう。
2009年にアメリカ合衆国大統領に就任したオバマ氏は、「核なき世界」を掲げて、核軍縮と核不拡散、さらに核の安全管理のために国際協力を呼びかけた。国際社会は、この大統領の呼びかけを喜んで喝采した。それによって、大統領がノーベル平和賞を受賞したことは記憶に新しい。
この大統領の提案によって、隔年に「核安全サミット」が開かれ、今回のワシントン会議が4回目となった。世界50ヵ国以上の首脳が参加し、核物質だけでなく、原子力施設・発電所などの安全管理も各国が責任を持って取り組むこととなった。
ただ残念なことは、米国と並んで世界最大の核保有国であるロシアのプーチン大統領が、このサミットに欠席したことだ。
この第4回会議で、核安全管理は、国際協力の下で永続的に努力すると宣言している。不参加のロシアもこの申し合わせには積極的に協力していってほしいものだ。
■北朝鮮の核実験
核なき世界に向かって、核の不安をなくそうと努力している国際社会に反逆するかのように今年の1月6日、北朝鮮が4回目の核実験を行った。
北朝鮮は、この核実験を初の水爆実験だと発表している。原爆の数百倍も破壊力のあるという水爆を北朝鮮が保持することになれば、核なき世界への人類の悲願が大きく後退することになる。なんとしても、北朝鮮の核開発は止めさせなければならない。
一方核保有国の現状に目を転じて見よう。2010年4月、オバマ大統領はロシアのメドベージェフ大統領と「新START(新戦略兵器削減条約)」を結び、米ロともに2018年までに戦略核弾頭を1550発に引き下げることにしている。
しかし他の核保有国は、削減どころか保有を増加したり、現状を維持している。依然としてこの地球上には多数の核弾頭が存在している。核安全サミットは、世界人類の安全のために、早く核のない世界を実現することに取り組んでほしいものだ。
核をなくすことが、安全のための完全なる道程であることを覚って、核廃絶に向かって、人類の英知と行動を結集していかなければならない時がきている。
世界人類の平和のために、さあこのことを急ごう。
■立正安国・お題目結縁運動
立正安国・お題目結縁運動は個人と人類と同時に救われていく信仰運動である。
日蓮聖人が示された立正安国のお題目を唱える信行は、人類一人ひとりが幸せになる法華菩薩道である。
私たちの人生の目標は、「世のため・人のため・世界平和のためになって幸せになること」である。
幸せの原点は「安心・安全・平和」であることは、言うをまたない。
人類の生存を脅かし、個人の幸せを壊すような核兵器が、この世に存在していることを許してはならない。
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。しからば則ち三界はみな仏国なり」と宗祖は言われている。
テロが頻発し、核の安全が心配されている今、核のない平和な世界顕現に向かって、立正安国の唱題運動を、力強く推し進めていこう。
(論説委員功刀貞如)

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2016年4月10日号

期待のかけすぎは親子の隔てを作る

4月、新学期が始まった。乳児が入園する保育園は、泣き声に満ちている。親としばらく別れねばならない子どもは、不安でたまらないのである。慣らし保育を行っても、何週間も泣き続ける子もいる。「はえば立て、立てば歩めの親心」と言う。子どもを育てる場合、子どもに何かを期待するものであるが、立場・境遇によっていろいろな期待がある。
家康の『東照宮御消息』には秀忠の御台所崇源院に与えた子に対する期待が書かれている。「我侭の悪しき枝」を伸ばさないように刈り取り、誰に対しても「慈悲をかけ、贔屓・へんぱなく、賞罰をただしく」して、家臣を大事にする為政者になってもらいたいとの期待を明確に述べている。
福岡藩の儒学者で、本草学者の 貝原益軒は、家訓の中で、「幼きより、人を欺きいつわることを強く咎むべし」といい、人をあざむいたり、偽るような人間になってほしくないと、子どもへの期待を述べている。それには親が他人を欺くような生き方をしないことが大事であり、「周囲のものが、子供を知らで、その子の本性を傷なへる故なり。これを得さすべし、彼を与ふべしなどすかして誠無きことなれば、すなはちこれ、偽りを教ゆるなり」と、誠実さを育てるような教育が大事であると述べている。
益軒は儒者らしく、子どもばかりか子孫にまでも、誠実で信頼できる人間になることを期待しているのである。
益軒は『和俗童子訓』でも、子どもの時から、人を侮らず慈しむようにすべきで、他人に対して嫌悪を顕わにしたりすることがあってはならない。子どもがそのような態度を見せたなら、すぐ戒めなければならない、と親をいさめつつ、子どもには他人を尊重する心を持つことを期待している。
しかし、問題はそのような親の期待に、子どもたちが応えてくれるかというところにある。
日蓮聖人は『刑部左衛門尉女房御返事』の中で「親は十人の子をば養へども、子は一人の母を養ふことなし」「父母は常に子を念へども、子は父母を念はず」と言われている。母親は大勢の子どもの面倒をみ、保護をする。しかし独り立ちした子どもは、その恩を返すことがない。また、親は子どもに愛情をかけるが、子どもの方では期待を裏切り、親を慈しむことがない、と言われているのである。
親の期待が、子どもにとって重荷となることもある。一番身近かな期待は、高校・大学などへの進学である。私は高校に勤めていたことがあったが、教え子の中に、著名な生物学者の子息がいた。3年生になって、彼は悩んだ。父親が、「生物学をやったらどうか。関係書籍は所蔵しているし、これまで築いてきた人脈もある」と生物学の研究者になることを勧めたという。しかし、自分は、父親とは全く別の道を歩きたい、何故なら生物学では父親を超えられないだろうから、と言い、結局英文科に進学した。
この教え子は、父親から見れば、父の理想を裏切った親不孝者と言うことにもなろうか。
山鹿素行は『語類』の中で「父の子における究まり無き愛隣あるを以て、大小事、巨細の事まで、子の作法の残る所なからんことを欲してなにごとも切諫し、厳しく戒むる時は、父子の間必ず隔心出で来る」と言っている。
親の我が子への期待が強すぎると、かえって子どもに厳しく当たることになり、親子の心の隔てを作る原因となると言うのである。我々は上手に子に期待することが必要なのであろう。
(論説委員・丸茂湛祥)

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2016年4月1日号

新たな不登校にどう向き合うか

不登校の子どもたちの問題は、今や社会全体で取り組んでいかなければならない状況にある。
かつてはその数も少なく、それは学校を怠ける、サボるという「怠学」ということばで表現されていた。その後「学校恐怖症」、そして「登校拒否」などとその呼称も変化していった。そして現在では「不登校」ということばが一般的に使われている。つまり彼らのすべてが、けっして「怠けたい」、「学校が怖い」あるいは「学校を拒否している」のでもない。そこには個々人の複雑な原因があると想像されるのである。
特に今日では、個人の身体やこころ(精神)や性格などの面、あるいはその子を取り巻く家庭環境や家族の関係などの面からも考えていかなければならないことは当然のことである。また学校や担任教員との関係、友人関係やいじめの有無などからの視点も不可欠である。さらには、不登校の長期化により生じる「学力の低下」「ひきこもり」などの、いわゆる二次的障害も懸念されるところである。
現在では、公的な相談機関や施設、スクールカウンセラー、あるいは民間のフリースクール、相談機関や施設など、多方面からの支援が考えられている。しかしながら、子どもの個性やその状態像も多岐にわたるため復学は必ずしも容易ではない。
不登校という状態は、子どものこころの疲労や不調を表すサインと見ることができる。それは初期段階ではことばではなく腹痛などの身体症状として発信されることも多い。その後、感情をうまく表現できず攻撃的になったり、自らを責めることも見られるが、親としてはまず子どものこころに寄り添っていくことが、なによりも重要なことであろう。
一方で、このような子どもたちに対する支援と共に、これからの大きな課題は新たな不登校の未然防止である。
最近の文部科学省の調査では、新たに不登校になる小・中学生が増加傾向にあるという。平成26年度は、不登校は12万2千人で、そのうちの6万5千人が「新規」の不登校であるという。
このような新たな不登校を防止することはけっして容易なことではない。しかし子どもたちの将来を考えるならば、私たちは可能な限りの支援をしていかなければならないだろう。
日蓮宗では昭和56年に社会福祉法人立正福祉会を設立し、全国各地の寺院に「家庭児童相談室」を開いている。そして現在幅広く子どもの相談事業を行っている。もちろん各相談室の活動に期待するところは大きいが、また一方で親ができることも考えていかなければならない。
親としては、まず子どもの話にしっかりと耳を傾け、その話を否定することなく丁寧に傾聴していく姿勢を基本とすべきであろう。またそこには、子どもを受容するという気持ちもなくてはならない。この受容とはカウンセリングの基本でもあるが、そのことばのイメージから時に「甘やかすこと」と誤解をされやすい。しかし受容とはけっして甘やかすことではない。あえて言えば「寛容」とか「包容」に近いものであろう。
仏教には本来「寛容性」「包容性」という性格が備わっていることを考えれば、私たちは仏教者として素直に受容ということを理解できるのではないだろうか。もちろん、すべての子どもたちの問題を「傾聴」と「受容」だけで解決できるものでもない。その姿勢を基本としながらも、冷静に状況を判断し、時に速やかに専門機関につないでいくことも、また私たちの果たすべき重要な役割であろう。
(論説委員・渡部公容)

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