ひとくち説法
2016年4月20日号
辛いけれど
朝夕の勤行は、何十年と続けていても辛いものである。愚僧にとって夏の暑さと冬の寒さなどは当然辛いものである。しかし、唯一、春の勤行は心地よい。身も心もご宝前に供された仏花も色鮮やかに温かく勤行にいどめる季節でもある。それが、数年前からこの季節も戦いの時季となった。花粉症になったのである。やはり勤行は辛いものである。だが、こんなに辛い勤行も一心に仏さまと向き合っているうちに自然と辛くなくなっていくのである。
思えば私たちの日々の生活や人生も面倒なことや辛いことばかりではないだろうか。それを乗り越えてもまた壁が生まれてくる。
新しいことが始まるこの時期、挑戦や活動する方は、高い理想に向かって一心に続けてほしい。根気強く続けることで道が開けてくるのである。何十年と辛い勤行を続けてきて分かったことがある。いつも理想の微笑みをうかべる仏さまが私たちを見守っておられるのだ。
(大阪豊能布教師会長・服部玄朗)
2016年4月10日号
苦を楽に転ずる教え
ある靴の会社が未開地に靴を売り込もうとして2人の調査員を派遣しました。
1人は着いてすぐ会社に報告しました。「誰も靴を履いていないので靴を売り込めない」と。
別の1人が報告しました。「誰も靴を履いていないので、靴を売り込める」と。
同じ事実を見ても考え方でこうも違うものです。
日蓮聖人は次々に降りかかる法難にくじけず、法難を受けるのは自分が正しい信仰(法華経)を弘めようとしている証拠だと考えました。そしてより強い信仰を持たれ、苦しみを喜びに変えられました。
私たちの人生は、本当に山あり谷あり、苦しみの連続です。日蓮聖人を宗祖と仰ぐ私たちはその「苦」に負けず「苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱えて」前向きの人生を歩みたいものです。
(大阪三島布教師会長・掛下史峰)
2016年4月1日号
生き様
先日1人のお婆ちゃんが98歳で亡くなった。生涯独身で若い頃は市役所で働き、茶道を嗜む方であった。ご自宅にお参りに伺うといつものお香のいい香りがして、仏壇もきれいに埃が拭き取られ、お線香立ても手入れがとても行き届いていた。挨拶を交わす時もおだやかでそれは上品なお婆ちゃんでありました。
葬儀の折は甥1人、姪2人と数人の知人だけの寂しいものであったが、きれいな花に囲まれてひっそりとした中にお人柄が偲ばれる地味ではあるが可愛らしい式であった。
「1日1日の積み重ねが現在の自分の姿である」とどこかのカレンダーで見た。人は生きてきたようにしか生きることはできない。死に様が生き様である。とすると、なおさら今日1日を精一杯生きていかねばならないことになる。仏さまに報恩感謝して、日々の事柄を懺悔して信仰生活をしていこう。きっと仏さまは見ておられるのだから。
(大阪府和泉布教師会長・野村光俊)