2016年2月10日
お正月に和服を着た。気持ちも姿勢も違ってくる。
お正月に和服を着た。気持ちも姿勢も違ってくる。言い方も落ち着いたものになったような気がする▼テレビで美輪明宏さんが司会者の挨拶に「ごきゲんよう」と挨拶を返した。すかさず司会者は「『ゲ』は鼻濁音なんですか?」と聞いた。「言葉の2字目以下の時は鼻にかかる鼻濁音ですよ」と美輪さんが教えていた。とするとお題目の「華」も「ゲ」と鼻にかけて鼻濁音で唱えることになる、と納得▼以前、言語学者の伊藤雅光大谷大学教授が平安時代の発音について説明してくれた。その時、耳にした平安時代の言葉はイントネーションもアクセントも、勿論言葉もいまとは違い、外国語を聞いているようだった▼言葉は生きているもの、変化していくものという。が、気持ちのいい言い回し、約束ごとは変わらない。「<RUBY CHAR=”裏”,”うら”><RUBY CHAR=”表”,”おもて”>」はなぜ「<RUBY CHAR=”表”,”おもて”><RUBY CHAR=”裏”,”うら”>」と言わないのか。「<RUBY CHAR=”西”,”にし”><RUBY CHAR=”東”,”ひがし”>」「<RUBY CHAR=”東”,”ひがし”><RUBY CHAR=”西”,”にし”>」もそう。一説に「うら」は音が2つ「おもて」は音が3つでできており、少ない音の言葉が先に来たほうが日本人は言いやすいのだという。「<RUBY CHAR=”言”,”こと”><RUBY CHAR=”霊”,”だま”>」とは言葉には霊があり、その働きによってそのまま実現させるという。そこに言葉は気持ちの籠ったものとなる▼最近「ガンダで行け」(ガンガンダッシュで行く)という略語を知った。気持ちの通じ会いが薄いから略語がはやるのか。それらはやがて死語となるだろう。お互いに気持ちの通じ合う、心の籠った生きた言葉を伝えたいものだ。(汲)