オピニオン
2015年12月20日
困難に遭っても
漢方薬を服用すると、良くなる前に体内の毒素が排出され一時的に体調が悪くなることがあります。これを瞑眩(めんげん)といい好転する兆しとなりますが、同じ様に、法華経には信仰する上で過去世の宿業が顕れ難に遭うことが説かれます。
日蓮聖人は「我今度の御勘気は世間の失一分もなし。偏に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし」(『佐渡御書』)と、法華経を信仰する上で法難として流罪を受けることは、今までの宿業を解消する機会であり、後生に悪しき道へ堕ちるのを防ぐものであると受け止められました。
我々もお題目という良薬を唱え服する上でさまざまな困難に遭っても、日蓮聖人の大難に比べれば小さな難で済んだと受け止め、好転する兆しとして乗り越えてゆくことが、聖人に近づく一歩となると思われます。
(新潟北部布教師会長・小瀬修達)