オピニオン
2015年12月1日
「終活」ということ
近年「終活」ということが話題になっているようである。最近のマスコミの話で終活の一環として「お墓じまい」を考えている人があると聞いた。…何とも嘆かわしい。遺骨は、今は亡き大切な人の最後の「縁」ではないのか? 墓前に手を合わせれば懐かしく対話もできようと言うもの。金品・不動産だけが遺産で、お墓や位牌は「負の遺産」と子孫に伝えるのか?…心に北風が吹く。
「死」という字は「一タヒ」と書くように必ず一度迎えねばならない現実である。
その準備をする。誠に結構なことである。しかし、ここでいう終活とは、臨終を迎えるに当たっての生き方、逝き方。「後生の為の糧」を考えるという「終活」である。臨終を迎え、今生の精算をし、そして「罪」と「徳行」を持って旅立つのである。
懺悔滅罪の謙虚さと、徳を積ませて頂くという謙虚さ、これを終活の心柱として余生に光明を得、霊山浄土を期したいものである。
(新潟東部布教師会長・眞島文雄)