論説

2015年11月20日号

茶道とは仏道修行

茶道の大成者千利休は「小座敷の茶之湯とは仏法を以て修行し悟りに至る道である。家は雨が漏らず食べ物は飢えない程度にあれば足れるというのが仏の教えであり茶之湯の本意である。ただ水を運び薪を取り湯を沸かし茶を点て仏に供えるとともに、他人にも茶を供し自分をも服す。花を生け香を焚く。これらはすべて仏道修行である」と教えています。
利休の茶道の心得は「四規七則」に集約されています。四規とは「和・敬・清・寂」の精神で、和・敬は亭主と客の心得、清・寂は茶室や道具への心得です。「和」とは、師弟の和・亭主と客の和・客同士の和・道具の調和など和の精神です。仏道修行の集団を「和合僧」と呼んだのも和を重視したからです。「敬」とは亭主と客・客同士が互に敬い合うこと、また使う道具やその伝来に敬いの心を持つことです。そのためには自分自身が慎む心が必要です。法華経には仏を敬う「恭敬礼拝」の精神が随所に説かれています。「清」とは清めることです。法華経譬喩品が典拠となる茶庭の露地は、客の心が清浄な露となることを意味します。亭主は帛紗で道具を清めると同時に、自身の心の穢れを除きます。「信は荘厳よりおこる」と言われるように茶道も仏道も清潔さが大事です。「寂」とは何事にも動じない不動心です。法華経授学無学人記品には「寂然清浄にして一心に仏を観たてまつる」とあります。常日頃から精進と鍛錬することを教えています。
「七則」とは相手に対する心がけです。第一は「茶は服の良きように点て」です。お茶を美味しく点てるには点前の速度や茶の量、湯加減などその時の客の状況に応じた気遣いが必要です。茶席では亭主と客との会話もご馳走です。「服の良き」には様々な要素が含まれます。第二は「炭は湯の沸くように置き」です。亭主は空気の対流を考え冬は炭の間隔を広げ、春先は詰めて炭火の広がりを調節します。火相と湯相の加減を見極めて茶を点てた時、松風(湯の煮え立つ音)が聴こえる瞬間が最高のご馳走となります。第三は「花は野にあるように」です。たおやかに咲く花の自然美を引き出すつもりで生けます。あまり作為にこだわると自然さが無くなります。自然の姿を漠然と再現するのではなく、大自然のいのちの尊さに感謝する気持ちが大切です。第四は「夏は涼しく冬は暖かに」です。室内の温度調節はもちろん、露地の打ち水や軸・花・茶碗・お菓子など季節を感じる道具組や室礼でもてなします。茶道が総合文化と言われる所以です。第五は「刻限は早めに」です。早ければゆとりが生まれ、相手への気遣いができます。早めとは、時間の束縛ではなく時間からの解放です。時間が守れないと信頼も失います。第六は「降らずとも雨の用意」です。傘はあくまで例えです。あらゆることを予測して、臨機応変に対応できるよう準備することです。そのためには経験が必要です。第七は「相客に心せよ」です。茶席という非日常空間で、亭主・正客・連客がそれぞれの役割を全うし、たった一度しかない一期一会の時間を心一つにして味わうのが茶会です。これが茶会の醍醐味「一座建立」の境地です。そのためには相手への深い尊敬の念と自分への戒が求められます。
四規七則の教えから、私たちが忘れかけている「ゆとりの心」を取り戻したいものです。
(論説委員・奥田正叡)

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2015年11月10日号

難民問題を考える

多くの人びとがヨーロッパを目指している。数十万人という膨大な数の人たちだ。「難民」と認定された人たちは欧州各国での受け入れが始まっているようだ。
それに引き替え日本は様々な国からの5千人の難民申請に対して11人しか認定していない(9月下旬現在)ことが報道されると、例によって非難の声が巻き起こった。
1980年代にカンボジア難民救援活動に携わっていた経験から発言させていただくと、日本で中東、中近東からの難民を受け入れることが最善策とは思えない。日本の気候風土、生活習慣、文化や宗教が彼らのそれとあまりにも違うからである。
貴重な経験がある。当時タイ国内に設営されていたカンボジア難民キャンプには日本からもさまざまな物資が届けられていたが、その中に当時の日本で余っていた米が含まれていた。いわゆる古古古米と呼ばれた3年前の米である。保管に厳しい日本の米だから品質が劣化して不味いということは決してないのだが実は多くが捨てられていた。
常にインディカ米を主食としている彼らにとって、水分の多いジャポニカ米は「気持ちが悪い」というのがその理由だ。
日本人なら戴いたものを捨てるなど思いもしないだろう。しかも1粒残しただけで目がつぶれると教えられた米である。
しかし、このことで彼らを責めることはできない。彼らにとって米とは水さえあればどこでも育つものだからだ。カンボジアでは雨水がわずかに貯まった椰子の梢で稲が芽を出す。ブータンでは、炊いたばかりの米の中に手を突っ込んで糊状にして手の汚れを落としてから食事をするという。
活動を続けているラオスで、米倉にネズミ返しが付いていないことに気づいてその説明をしたところ「日本人はひどいことをする。そんなことをしたらネズミが餓死するじゃないか」と真顔で言われた。3期作も可能なこの辺りに住む人たちは米に対する考え方が根本から違う。
アジアの仏教国にしてこの違いだ。受け入れる難民の数を増やせば済む問題でないことは明白だろう。「日本は金だけ出す」という非難に動揺する必要もない。その方がずっと効果的な場合もある。
ラオスで建設している校舎の贈呈式には、その都度日本からドナーが出席される。その際、子どもたちに文房具を持って行きたいというご要望を全てお断りしているのは、日本の高級な文具の数々を一時的に知ったところで、それが消耗したときには元に戻るしかないからだ。現金をお預かりして現地の市場で買えば数倍も多く手に入るし、現地で補充もできる。なにより現地が潤う。
さて、今回の難民問題の中で見落としてはいけないと思うのは、自国内に留まって過酷な生活を強いられている人々の存在だ。国内難民などと呼ばれているが、彼らは難民の定義に当てはまらない。難民とは「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるか、あるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた」人びとをいう。
かつてアフリカで飢餓が大きな問題になっていた時、1億人の生活困窮者の内、難民と認定され保護されたのはわずか7百万人だったというユニセフの報告もある。難民という言葉だけで心情的に動くのは考え物だ。
日本は本当にすばらしい国だ。しかし世界の誰もがここに住めるわけでも、住めば手放しで幸せになれるわけでもない。
(論説委員・伊藤佳通)

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2015年11月1日号

マイナンバー制度について

国内に住む赤ちゃんからお年寄りまで、すべての人に一人ひとりの番号を割り振るマイナンバー制度が始まる。
12桁の番号が記された通知カードが、11月までには市役所などから家族の分をまとめて家に送られてくるという。来年1月からは希望すれば、顔写真つきのマイナンバーカードを持つこともできると報道されている。
(1)「税金」を納めるときに、まずマイナンバーは使われる予定で、それは番号で住民登録などの情報を管理できることによって、国民一人ひとりの収入・所得を正しくつかむことがより可能になり、あなたの税金はコレコレですと、スムーズに通知することができるという。
(2)「社会保障」についても、今まで国や自治体がばらばらに管理してきた年金の個人情報も番号でつなげ、行政手続きを効率化し、より正確な情報をつかめるようにする。それによって国はより公正な社会保障を実現できるという。
(3)また万一「災害」にあった時も役立つ。巨大地震による津波による甚大な被害が東日本大震災で起こり、多くの死者と建物、田畑などの被害をもたらした。最近でも豪雨によって茨城、栃木、宮城3県を中心に甚大な被害を受けたが、マイナンバー制度の導入により、早急な災害対策、特に行方不明者や仮設住宅居住者の把握とすみやかな対処が可能になるといわれている。
以上、「新制度のねらい」についてまとめていえば、今まで「国や自治体がばらばらに管理してきた年金や税金などの個人情報を番号でつなげ、行政手続きを効率化し、より正確な情報をつかめるようにする。それによって国は公正な社会保障や税制度を実現できるとしている。つまり国民の生活へのサービスの、よりよい向上がのぞめるというのである。
(4)私たちにとって「便利」になることもある。番号を使って役所間で情報が共有されるので、公的な手続きで窓口に行く回数を減らせるといわれる。インターネットで自分の情報を見ることも可能になり、希望すればICチップ付きの個人番号(マイナンバー)カードを取得でき、将来はこのカードで公立図書館で本を借りたり、コンビニでも住民票を取得できるようしたいとし、カードに健康保険証やキャッシュカードなどの機能を持たせることも検討されているという。
(5)たしかに便利になると思われるが、問題なのは番号が漏れたりして悪用されたりしないか……という点だ。海外では同様の番号制度で「なりすまし」が問題となって被害が出たとも指摘されている。「サイバー攻撃」などもニュースになり、以前の大量の年金情報が流れてしまったこともあった。
企業もマイナンバーをきちんと管理するための研修を行い、政府も情報の漏洩や不正利用がないように監視・監督するための「個人情報保護委員会」を設置することになった。
(6)「マイナンバー制度」の導入は個人情報の管理、ひいては侵害につながる危険性をともなっているので進めるべきではないという声も少なくない。しかし、であるから導入せずではなく、時代の要請として、正しく慎重に検討しつつ導入が進められるのは必然であるといえる。
時代は明らかに変化してきている。日蓮聖人の「立正安国」とは便利な世の中を目指しているわけではない。便利な世の中の上にも人と人との心を通わせあい、助けあう世界だ。人の心に余裕が出る分、そういった世界に向けて、改めて積極的に日蓮宗徒が動いていかなければならない。 (論説委員・星光喩)

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