2015年11月1日
人が「健康でありたい」と願うのは、
人が「健康でありたい」と願うのは、世代を問わず人類共通の願いと言っても過言ではない▼WHO(世界保健機関・国連の専門機関の一つ)が平成10年に発表した健康の定義の中に注目すべき文言が入っていた。「健康とは、完全な肉体的、精神的、霊的及び社会福祉の活力ある状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」と。人間が幸せであるという状態は、体の健康、心の健康、社会的環境の健康の他に霊的な健康も含めていこうという提案だ。わかりやすく言えば、単に身体や心が健康であれば幸せなのか? 社会が順調であれば幸せななのか? いやいや違うだろう。魂の問題・宗教性の健全さが、人間の幸せを考えるうえで大切じゃないかというのだ▼委員会では可決されたが、翌年の世界保健総会(WHOの最高意思決定機関)では否決された。現在でも認められていないが、反対しているのは、欧米の先進国、そして我が日本だ。賛成しているのが中東・アフリカの国々で、政治的配慮や宗教的対立があるかもしれない。日本はとくに公式の声明に、宗教的文言が入るのを嫌う▼しかし、もしこれが正式の声明となったら、今の日本の状況をどう説明するのだろうか。無宗教を標榜する多くの人びと、生活の中から消えていく宗教性。日本は「健康ではない」とWHOから判断されるかもしれない。 (雅)