ひとくち説法
2015年9月20日号
星は多けれども…
秋の夜長。皆さんは何を思うのでしょうか? 空を見上げれば満点の星。一つひとつにそれぞれの星々の煌きがあり、とても美しいですね。しかし、日蓮聖人のお言葉に「星は多けれども大海をてらさず」とあります。どんなに綺麗で素敵な星々が多数集まっても、夜の大海や闇の大地を輝かせることはできません。日月の光明だけが幽冥を除いてくれるのです。そのとおりだと思いました。
そこで、このお言葉の続きがどうしても知りたいと思いました。しかし、ご遺文やお手紙の名称が解らないと続きは当然見つからないのです。困りました。自分自身の勉強不足を恥じましたが、ならば全ご遺文を拝読させて頂こうと決意して月日が経過してしまいました。苦労しましたが…。
やっとやっと出会えました。昭和定本遺文の『九郎太郎殿御返事』(第2巻1602頁)です。
「但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ」と続いておりました。生涯忘れません。
(静岡県東部布教師会長・植木和久)
2015年9月10日号
死ぬまで生きる
6歳の男の子の一言。「死ぬまで生きる!」可愛がってもらった祖母の死に直面して出た不思議なことばです。しかし、子どもなりに「死」をしっかり受けとめた実に意義深いことばでもあります。
バス停でのこと。「今2時半ですよね」と声をかけられました。このことばには「2時半になったらバスは来ますよね」ということばが省かれています。つまり、時刻を特定して、その時刻になると出来事は起るのではなく、出来事が起こる「時」というのはそのもの自身が運んでくるという解釈ができないでしょうか。私たち人間が関わる
すべての現象は、時計の刻時刻によって表示されるのではなく、出来事それ自身が「時」を運んでくると考えた方がより自然ではないか。「死ぬまで生きる」は、「その時」を待つことではなく正に宗祖教示の臨終を習う私たちが精いっぱいに「この時」生きることをいうのでしょう。
(静岡県中部布教師会長 ・塚本智秀)
2015年9月1日号
仏さまとむきあう
「生老病死の憂患あり」お釈迦さまのお言葉ですが、私も持病の治療のため2ヵ月に1度、病院で血液検査と薬をいただいています。診察まで数時間待ち、診察はわずか1~2分。先生はパソコン(電子カルテ)で血液検査の結果を見ながら背を向けて話します。一度も顔を合わせずに診察が終わることもあります。大勢の患者の診察をされているののですから仕方ないとも思いますが…。
それでは、私たちが信じるところのお釈迦さまはどうでしょう。医者と同じように私たちを苦しみから救ってくださいます。違うところは、私たちが願い求めれば、すべての人と向き合ってくださるのです。「あひかまへて、あひかまへて、信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給べし」(『諸法実相鈔』)。法華経を固く信じ、日蓮聖人の教えを素直に受け、忍耐強く、慈悲の心を篤くし、ことに当たっていくなら、三仏の守護と功徳をいただけるのです。
(静岡県西部布教師会長・杉本蓮修)