ひとくち説法
2015年8月20日号
私たちの振る舞い
昔、雪山童子は「諸行無常是生滅法」の続きの半偈を聴くために鬼神の口に身を投げ入れたといいます。法のためとはいえ、私たちにはなかなかできることではありません。
毎月お経に伺っている信徒さんのお家で、お経が終わって帰ろうとしていたところ、お嫁さんが「娘からです」と言ってチョコレートを渡してくれました。ちょうどバレンタインデーの頃のことですが、その気遣いにうれしい気持ちになりました。
このお家は数十年にわたってご夫婦揃って、最近は親子でお参りされています。朝早くお出でになった時は、本堂の清掃・草取りをしていかれますし、お供えもされます。
以前からその様子を見ていますと、見習わなければいけないと思い、またお参りになるまでには、本堂の扉を開けておかなければならないなと思いました。「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候」のお言葉が身にしみました。
(山梨県4部布教師会長・苅込義旺)
2015年8月10日号
仏の心で仏国土に
ある日、朝勤前に本堂から境内をながめると、宗祖遠忌報恩塔や三界万霊塔、戦没者慰霊碑などの石塔に「みかん」が置かれていた。
大きなみかんにマジックペンで「おじぞうさま、めしあがってください」と書かれていた。この石塔は残念ながら「お地蔵さま」ではないけれど、どなたかの感謝・供養の心に思わず手を合わす。
ふと「一見四水」の教えを思い起こす。人間には「水」と見えるものが、天人には「宝の池」、餓鬼には「血の川」、魚には「家宅」に見える。同じものも見る者・心によってさまざまに変わる。
「みかん」の施主には、石塔はみな「お地蔵さま」に見えるのか? 笑い話ではない。人は仏の心も地獄や餓鬼の心も持っている。私たちの住むこの世界を仏の心で見れば浄土(安穏な仏の世界)、凡夫の心で見れば穢土(苦しみの世界)である。
全ての人が持っている仏の心で過ごすならば、此の世が、この社会が仏国土に変わるのです。
(山梨県第3部布教師会長・柏原啓修)
2015年8月1日号
ガンさん! ありがとう
ガンで入院していた檀徒さんが、快復されて「信仰の力って凄いですね。病院のベットの上で、お経を読み続けておぼえてしまったら、ガンが消えてしまいました。本当に不思議です」と語っていた。
本当は、私たちの命の力というのは、計り知れない。その命の力を発現させる教えによれば、実はガンが治ることも不思議でもなんでもないのかもしれない。
先日ある医師の講演会に参加した。その講演の中で次のようなお話があった。「ガンになったら、ガン細胞さんありがとうくらい言ってほしいものです。ガン細胞だって自分の細胞です。自分自身に悪い悪いと祈るのだから、ガンの方だってたまったものではない」
いつからか私たちは条件付きで自分のことを愛し、仏さまからの無条件の御心を自ら望んで拒んでいるのかもしれません。
(山梨県第2部布教師会長・功刀貞行)