ひとくち説法
2015年2月20日号
私たちは何をなすべきでしょう。
フィギュアスケートのグランプリファイナル2連覇を達成した羽生結弦選手(20)の帰国会見で、「魂」を感じました。彼は東日本大震災の被災者として、競技を続けるべきか否かの葛藤のすえ、昨年2月のソチオリンピックで金メダルを勝ち取ったことは皆さんご存じの通りです。その折りにも、さらには2大会前の中国大会で試合直前練習で中国選手とぶつかり負傷しながらも好成績を収めたときなども、「最後まであきらめない心」を私たちに知らしめてくれました。さらに帰国会見では、「ただがむしゃらに突き進むのではなく、今、自分は何をするべきか? を考え実行した」と一段階上の魂を披露したと感じました。仏教の根本を説いた七仏通戒偈は「悪を止め善を行う」という戒を授け、さらに「自らその心を浄らかにするこころ」を教えています。羽生選手もこの「浄らかなこころ」を苦しみのなかから勝ち取ったのでしょう。浄らかな心で私たちは何をなすべきでしょう。
(東京東部布教師会長・小山内功静)
2015年2月10日号
真の覚醒とは
ナチュラリストの河村通夫さん(北海道在住)は、一人暮らしを始めることになった娘さんに「カルト宗教と覚醒剤には絶対気をつけなさい。ほかのことならどうにかなるが、この二つだけはとりかえしがつかなくなる」という注意を与えたそうです。
確かにこの二つは抜けるのが難しく、人格を壊し、遂には本人はもちろん、家族や社会全体にも取り返しのつかない被害を及ぼしてしまいます。
特に近年、麻薬や危険ドラッグ等の覚醒剤が身近な問題になってしまったのは残念なことです。
覚醒を辞書で調べてみると、
「目を覚ますこと。迷いからさめ、過ちに気づくこと」とあります。
真の覚醒とは仏の子として生きることに気づくことであり、幸福な社会を築くことに努力することです。本来の意味の如く、しっかりと自分の進むべき道を歩んでいくことが大切です。
(北海道北部布教師会長・香川一乗)
2015年2月1日号
心のゴミを拾いましょう
ラジオの「〇〇円の詩」の放送が耳に入る。
「ゴミを拾う、たいしたことではないけれど。ゴミを捨てる、たいしたことではないけれど。ゴミを拾う人は、ゴミを捨てない。ゴミを捨てる人はゴミを拾わない。ここに大きな違いがある」
誰かが見ていると、悪いことをすまいと思い、誰も見ていないと、ついつい浅ましい気持ちを持ってしまいがちな私たちの心です。
近所の奥さんは外出のとき、必ずビニール袋を提げている。ある日その奥さんが道に落ちているゴミを拾ってそのビニール袋に入れているのを見た。そのことをお檀家さんに聞くと、「誰に頼まれた訳でもないのに何年も前から道のゴミを拾ってるんですよ」と教えてくれた。ゴミを見たその時に一つ拾えば1つ分、二つ拾えば2つ分きれいになるのだという。常にみ仏は見ている、お祖師さまが見ているとしっかり心に刻んでお題目を唱えて、ゴミを拾う人になりたいものです。
(北海道南部布教師会長・山本 光明)