2015年2月20日
釈尊涅槃会に思う
およそ2500年前、インドに誕生された釈尊(ゴータマ・ブッダ)は、80年のご生涯を、クシナガラの沙羅双樹の下で、閉じられました。そのご入滅の日は、日本仏教の伝承では、2月15日の満月の日であったといいます。
私が中学校・高等学校時代に修行した寺では、2月15日には、必ず大きな「仏涅槃図」が本堂に掲げられることもあって、沙羅林のもとに横臥されている釈尊の周囲に、仏弟子や菩薩方が描かれるのみならず、あらゆる動物たちが釈尊を囲遶していることを知ったのです。そして、日蓮聖人の『祈祷抄』の一節には、その悲しみをつぎのように描写されていることを、法要の御妙判拝読の折りに知ることが出来ました。
「私たちすべての人々にとって拠りどころとなる宝の橋が折れようとしています。私たちにとっての智慧の眼でもあるみ仏が、亡くなろうとされています。一切衆生の父母であり、主君であり、人生の導きの師であるみ仏が死を迎えようとされています。このような、嘆きの声が響き渡ると、その場にあったすべての人たちは身の毛が逆立つような気持ちに襲われ涙を流しました。いな、涙を流すだけでなく、頭をたたき、胸を押さえ、声も惜しむことなく泣き叫びました。すると、血の涙や血の汗が、クシナガラの街の全体に、大雨よりも激しく降りそそぎ、大河よりもさらに多く流れ出しました。」(現代語訳・昭和定本678頁)
この『祈祷抄』の一節を拝読の折、あまりにも未熟であった私には、日蓮聖人の表現は誇張されたものではないか、と思うことがありました。けれども、師匠や兄弟子たちにつれられて、お檀家の通夜や葬儀の法要に出座するようになり、かけがえのない人たちとの、死別・別離の悲しみが、どれほど深いものであるかを徐々に学んだことを思い出すのです。
やがて立正大学へと進み、日本美術の歴史の講義の折、担当の先生は、法隆寺の五重塔の初層の北面に、塑像の釈尊の涅槃像一躯と、侍者坐像三十一躯が安置されていることを講義されたのです。しかも映像として、仏弟子たちが空を仰ぐように泣きさけんでいる姿、大地に両手をついてその悲しみに耐えている姿などが映し出されたとき、およそ一300年以前の作品とは思えない、描写力と現実感とに大きな衝撃をおぼえました。あわせて日蓮聖人の『祈祷抄』の一節が、真実のものとして受けとめることができたように思えたのです。
私たちにとって、一生涯というのは、物理的時間の流れの中では、ただ一度だけのことの連続であることは自明です。かけがえのない一刹那の時間の積み重ねであることを知るのです。茶道の世界で「一期一会」と説かれることは、まさにそのことであると思われます。
ところで、私は馬齢を重ねる中で、法隆寺の五重塔の仏弟子たちの悲嘆に慟哭している塑像を思い描きながら、私も身体をふるわせるような悲しみに襲われたことを思い出すのです。それが仏門の師匠の遷化であり、つい先日遭遇した、教え子との死別の場でもありました。
平成27年2月15日、釈尊の涅槃会を迎え、私たちは限られた一生ではあるのですが、その中で日々を大切にし、法華経の教え、日蓮聖人の教えに導かれながら精進しなければならないことを、あらためて思うのです。
(論説委員・北川前肇)