論説

2014年12月20日号

日本人としての誇りを感じた年

最近多くの外国人が日本を訪れるようになり、第三者の目を通して日本の良さを見ることができるようになった。
外国人は日本に来て、まず緑が多く水が豊富にあることに感動するようだ。京都などの寺院の庭園には、年を経た庭木が植えられ、それらが綺麗に手入れされている。水辺は苔むし、岩石もごく自然に置かれ、木造の建物も周囲の風景にとけ込んでいる。春には新緑が萌え、夏には太陽を遮る木陰や水辺が涼を演出し、開放的な家屋が自然と一体となって建てられている。
志賀重昴の『日本風景論』によれば、南北に長い日本列島は海に囲まれているので、気候・海流が多様である。火山が多いので風景が変化に富んだものになっている。雨が多く豊富な水が、植物・動物をはぐくむ風景に美しさを与えているという。
日本の自然はユネスコの世界自然遺産ににもたくさん登録されている。富士山は信仰・芸術に関係する山として昨年世界文化遺産に登録されたが、屋久島・小笠原諸島・白神山地・知床もすでに自然遺産として登録されている。和食も、昨年世界無形遺産に登録された。新鮮な食材を使い、素材を生かし、自然の美しさや、四季の移ろいを表現し美しい陶器や漆器に盛りつける和食も注目を集めている。
中国・韓国・インド等から来た旅行者は、日本の街路にはゴミが少なく、公衆便所が清潔であることにも驚いているようである。時々メールをよこす日本通のネパール人の友人は、中国・インドの都市は、どこも空気がPM2・5のせいで澱んでいて、冬はマスクなしで外出はできないという。日本には独特の文化があり、技術力も世界に誇れる高度のものを持っている。
今年10月、名城大教授赤崎勇氏、名大教授天野浩氏、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授中村修二氏が、ノーベル物理学賞を受賞した。青色発光ダイオードの研究開発が評価されたのである。今まで赤色と黄色のダイオードが開発されていたが、青色が日本人によって開発された。このことによって白色光が可能になった。光は赤青黄色3色が混ざると白色になるからである。この開発によって、消費電力が格段に少なく、耐久性の高い照明が可能になり、世界の人々が大いに恩恵を受けることになった。
12月3日には小惑星探査機「はやぶさ2号」が打ち上げられた。これは宇宙航空研究開発機構から依頼され日本の企業が製作したもので、部品の多くは福島県近辺の町工場の技術者が造ったものだという。同探査機は、イオンエンジンを使って宇宙空間を飛行、2018年夏にC型小惑星(炭素を含む物質からなる惑星)に到達、表面や地下に堆積する物質を載せて、約60億㌔の宇宙の旅の後、2020年に地球に帰ってくる予定だ。壮大な計画である。小惑星探査プロジェクトについては、成功する確率は高いと見られている。それは打ち上げから7年かけて小惑星イトカワから微量の試料を持ち帰ることに成功した「はやぶさ」の例があるからである。
今年11月、パリで開かれたユネスコの政府間委員会で、和紙が世界無形文化遺産に登録された。正倉院にも残っている本美濃紙や石州半紙・細川紙等の日本のユニークな紙漉き技術が価値を認められたのである。また今年6月には、富岡製糸場が世界文化遺産に登録された。日本が近代工業化世界に仲間入りする基幹産業となったからだ。
日蓮聖人の「国家の恩徳を報ぜん」(『聖愚問答鈔』)のお言葉のように、我々は豊かで平和、民度の高い国に生まれたことに感謝しなければならないであろう。(論説委員・丸茂湛祥)

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2014年12月10日号

外国から見たニッポン

最近、『外国人から見た日本』をテーマにしたテレビ番組を多く見るようになりました。「あなたは何をしに日本に来たのですか?」。日本の国際空港で日本を訪れた外国人にインタビューする番組や日本の一流の職人によって作られたものが海外で高い評価を受けていることを紹介する番組、外国人が日本の歌を歌ったり、日本文化を体験したりする番組など、見ない日はないと言っても良いでしょう。
かつては、海外の有名観光地や日本人の海外体験を紹介する番組が多かったようですが、今は日本人が海外へ日本の技術や文化を紹介・教授したり、外国人が日本で様々な体験をするなど、海外知識の輸入から日本の文化・技術の輸出へと番組の性格が変わってきています。
この転機の一つと考えられるのが、東日本大震災です。あの未曾有の大災害の中で暴動・略奪等が一切起こらず、配給品に辛抱強く列を作る日本の被災者の姿に世界中が驚愕し、感動しました。「このような混乱の中で秩序が保たれるのはおそらく世界中で日本以外にないだろう」とまで世界中のジャーナリストに言わしめた日本人の公徳心は、日本人にとっては「当たり前のこと」とされていたものです。この世界中からの称賛は日本人に自らに対する誇りを再確認させました。ここから、日本人の「国際化」に大きな変化が生まれました。
一昔前、日本では「国際化」は「海外のことを学ぶこと」と考えられていました。外国語を習って、外国の知識を得ることが日本人にとっての「国際化」でした。しかし、海外へ留学した日本人の多くが、海外で日本の文化や歴史、社会について質問され、まったく答えることができず、恥ずかしい思いをした経験を語っています。そして彼らは皆、日本に帰ってくると、日本のことを勉強するようになりました。彼らは異文化と接することで自分の文化を知ることの大切さを始めて認識したのです。
東京オリンピックの開催も決まり、今後さらに多くの外国人が日本を訪れるようになると、日本人が自分の文化を説明する機会が増えていくことが予想されます。外国人からの質問で最も多いのは「これは何ですか。これはどういう意味ですか。なぜこうするんですか」という「なぜ、どうして」の質問です。実はこれが答えるのに最も難しい質問です。日本人同士では、まずこの質問をされることはありません。「なぜ合掌するのですか?」「合掌の形にはどんな意味があるのですか?」「合掌は誰に向かってするのですか?」。どうでしょう、いきなり質問されたらかなり慌てるのではないでしょうか。私たちが日常行っている行為について、その意味を考える機会はあまりありません。「知っていて当然、知らないと恥ずかしい、知らなくても困らない、だから聞かない」ではないでしょうか。しかし、この質問に対する答え、非常に大切な内容を持っています。もっとも重要な部分と言ってもよいでしょう。
すべての行為には意味があります。意味を理解していると、異なる状況でも対応することができます。意味を忘れていると、形にこだわり、新しい時代・異なる環境に対応できません。外からの質問・疑問に答えることの意味がここにあります。普段聞かれることのないことを質問され、それに答える努力をすることで、今行っていることの本質を再認識することができるのです。外国人から質問された時だけでなく、自分から自分に向かって、「なぜ、どうして」の質問をしてみてはどうでしょう。「今、自分はなぜ合掌しているんだろう?」仏壇の前で考えてみることで、毎日の生活が変わるかもしれません。
(論説委員・松井大英)

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2014年12月1日号

「がんばれ!」ということば

被災地での支援活動、あるいは病気や障害、高齢化によって生ずる苦しみに寄り添うビハーラ活動、また自死遺族に対する支援の場などにおいて、私たちが注意しなければならないことは数多くある。そのなかで慎重に使うべきことばが「がんばれ!」であろう。
このことばを、私たちは日常的にかなり頻繁に、また何の疑問も持たないで使用しているが、その使い方には十分な配慮が必要とされる。
「がんばれ!」ということばは、相手を励まし、元気付けをする際に、自然に口から出るものではあるが、このことばは、場合によっては「今のあなたではだめ!」「変わらなければだめ!」というメッセージとして相手に伝わることが多い。つまり、その人の現在を否定することと同じ意味を持つのである。私たちは軽い励ましで言ったつもりが、それを受け取る相手には、予想以上に重い負担となる場合があることを十分に承知しておかなければならない。
たとえば、うつ病と診断された人にこのことばは禁句とされている。それは「…自分では一生懸命やっているつもりだが…そうか…今の自分ではだめなんだ…でも自分にはこれ以上できない…自分は人の期待に応えられないだめな人間なんだ…」と受け止められ、結果的に相手に過度のプレッシャーを与え、最悪の場合には自死へと追い込んでしまうことさえある。
また、難病や末期がんなどで闘病中の人たちにも「…自分はこんなにがんばっているのに…これ以上いったい何をがんばれと言うのだろうか…」と受け止められやすい。これでは元気付けどころか攻撃でしかない。
このような決まり文句としての「がんばれ!」ということばは、被災地支援活動においても生じやすいが、相手によっては、現在の自分を否定されたものとして伝わる可能性を孕んでいる。その被災者にしかわからない苦しみや心情、先の見えない不安は、私たちの想像をはるかに超えたものであることを、あらためて心しなければならない。
かつてプロテニスプレイヤーのクルム伊達公子選手が一度引退した時、自分がコートに入って行くと観客から「がんばれ!がんばれ!」という声援を浴びたが、それはとても嫌だったと述べている。つまり自分としてはこの試合のため万全の調整をして臨んでいるのだが、観客はただ一方的に「がんばれ!」と声をかけてくる。しかし、もうこれ以上がんばれない自分としてはとても辛かったと言う。
もちろん、サッカーやバレーボール、野球などのチームプレーの場合では、大きな声援ほど選手にとって力強く感じるようであるが、個人プレーの場合には、その声援を一人で受け止めることが負担となってしまうことも多いと思われる。
このように「がんばれ!」ということばは、時に相手を追い込んでしまう場合がある。しかし、よく似たことばで「がんばったね」というのは、その人のこれまでを認めること、相手を肯定することばとして考えられるので、その心配は不要だと思われる。
いずれにせよ、私たちのたった一言が相手に思わぬ影響を与えることもある。人への支援を思う時、一方的な「がんばれ!」ではなく、その人に寄り添い、その人のことばをしっかりと受け止め、そのこころのことばに耳を傾けていくことがなによりも肝要であろう。これは、被災地支援活動やビハーラ活動のみならず、私たちの人間関係の基本として、常に留意すべきことであるといえるだろう。
(論説委員・渡部公容)

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