2014年11月1日
遺言で献体(医学研究として死後の体を提供する)した
遺言で献体(医学研究として死後の体を提供する)した檀家さんの葬儀で、医師に、生と死の宗教的意義、とくに仏教の立場からと問われたことがあった▼適切な説明ができなくて、1744年に日本で初めて訳された人体解剖の本である『解体新書』の話をした。それまでの漢方医が知る内臓は、実態を持つものではなく、気の流れの一分枝に過ぎなかった。生きている間だけが医学の領域であり、死は宗教の領域であった。解体新書に始まる病理解剖は、身体の内部にメスを入れ、病巣を特定し、死に至る経過を目に見えるように明らかにするための解剖である。生・老・病・死の連関のなかで、死の側から見る眼差しは、生の側から見る病因論よりも、機械的であり、数値的であり、雄弁であった。死が単なる生の終わりを意味した時代から、病理解剖の確立により、死は死を基点として生を捉えるという積極的な意味を持つものに変わっていったのである▼仏教の生を語るときには死を通して語り、死を語るときには生きるということを通して語る「生死一如」という言葉を彼に伝えた▼科学技術の発達により医学の進歩は、さまざまな検査で数値化され、機械化も進んだ。身体の外側からのアプローチは進んだのに、死への不安や恐怖と戦う内側(心)へのアプローチは、むしろ後退しているように思える。宗教の出番である。ともに歩みたいと話したが、力不足は否めなかった。(雅)