ひとくち説法
2014年10月20日号
幸せのかたち
秋は運動会のシーズンです。わが家でも祖父や祖母を交えての運動会観戦です。お遊戯や徒競走、玉入れなど子どもたちの一生懸命な姿に心が満たされます。懸命に走る姿、皆と合わせてのダンス。子どもたちも観戦する親たちも笑顔があふれています。幸せとはこんなことをいうのだろうなとつくづく思います。
多くの人は常に満たされない心で幸せを求めています。お金が足りない。いい生活をしたいなどなど。足りないものを得た時にはじめて幸せを感じる。本当にそうなのでしょうか。私が私がといっている限り心が満たされないのではありませんか。決して求めてはいけないといっているわけではありません。食事も満足に食べられなければ、心が満たされないのも事実です。
今あるものに目を向ける。身の回りにある笑顔こそが心を満たしてくれるものではありませんか。仏さまは笑顔に気づくことを願っています。
(大分県布教師会長・亀山 環舜)
2014年10月10日号
子どもの声は魔を払う
長崎の10月は各地の秋祭り同様「おくんち」で賑わいます。子どもたちの元気な声とお囃子で、街中を豪勢な出し物が練り歩き、大勢の見物客で溢れます。「子どもの声は魔を払う」とはよく言ったもので、神社やお寺のお祭りには稚児さんが出て、先触れをしながら魔を払います。子どもの声が響き渡ると本当にその場が明るく元気になるのです。家のなかもお寺も地域社会も子どもの声が充満すれば良いのですが、昨今のゲーム病や少子化の波は世の中から元気をも奪っていくようです。
拙寺でも何とかして子どもたちをお寺にと、マンガ制作や鬼子母神講の活性化、「お参りさんこんにちは」と題したプレゼント攻勢、コンサートやお祭りのイベントなど、悪戦苦闘を続けていますが、なかなか成果は上らないのが実状です。
素直な子どもの明るい元気な声が宗教のエネルギー源であることは間違いありません。また子どもの声がお寺にこだまする日を夢見ながら…。
(長崎県布教師会長・岩永泰賢)
2014年10月1日号
涙活
就活、婚活、最近では人生終焉にむけての活動として終活という言葉もよく聞かれるようになった。そして今「涙活」という言葉も出てきた。この涙活とは、能動的に涙を流し、心のデトックスを図る活動のことである。泣ける映画・音楽・詩の朗読など、意図的に感動を呼び起こし、意識的に泣くことでストレス解消を図り心を癒やすという。逆に言えば、今や涙活をしなくてはならないような、潤いのない殺伐とした世の中である証ではないかと思う。既に設定した場面に涙を流し心潤すのではなく、本来互いの生活の中で心温まる話が充満していかなくてはならないはずである。しかしながら現実は心痛む話ばかりだ。
日蓮聖人は、「心の財第一なり」と仰せになられた。私たちは、お題目を唱え、皆が仏となり、慈悲心溢れる社会を顕現するため、心の財を尊重する立正安国の世界を築き上げていかなくてはならない。
(佐賀県布教師会長・松島正英)