2014年10月20日
慈愛を第一とする生き方
今日、日蓮聖人(1222―82)の信徒に与えられた手紙の一篇一篇を拝読いたしますと、聖人の暖かな心づかいが感じられ、どうして聖人は信徒の境遇や、その苦悩に対する微妙な心づかいがおできになられるのかと、つい考えてしまいます。もちろん、そこにこそ聖人のすぐれた宗教者としての資質が存在していることが知られます。
ところで、日蓮聖人に対する一般的な印象は、鎌倉の北条政権に対する諫言や、宗教者としての毅然とした態度に見られるように、鋭敏でかつ豪毅な性格であるように受けとめられています。聖人は、末法の日本国に生命を享けた者としての責任と、中国の歴史書を手本とする一人の聖臣としての立ち振る舞い、すなわち行動の規範、倫理がしっかりと根づいているのです。しかも、その鋭敏な洞察力は、当時の日本の国内情勢、さらに世界情勢をも十分に察知し、それを基に為政者に対する諫言となったのです。
また、真の仏弟子を目指された聖人は、若き頃から「智者」となることを求めて仏道を邁進されました。聖人にとっては、父母はもちろんのこと、一切衆生、すなわちこの国土に生命を享けている人々に、慈悲の眼がそそがれていることが知られます。そこには、個的価値観を超越した、普遍的でしかも不変的な価値観、つまり釈尊の教え、わけても『法華経』がその根底に存在しているのです。真の仏弟子というのは、自我を否定し、自己の価値観を否定するなかに、釈尊の教法を絶対の価値基準に置くという、厳しい生き方を示すものです。
聖人の当時の仏教界に対する厳しい批判の眼は、今日においても大切な意味をもつものと言えましょう。何故なら一人ひとりが仏陀釈尊の教えに生きようとするとき、そこには真の仏弟子の姿が示されているからです。
さらに、聖人の生き方は、実に慈愛に満ちていることを見逃してはならないと思います。まさに聖人の生涯は慈悲実現の一生であられたと言えるでしょう。厳しい諭しの言葉、優しい言葉は、慈愛を基盤として生み出されてくると思われます。他者の境遇に思いをはせる眼差しは、慈愛がない限り、他者の境遇をしっかりと捉えることは不可能であると思うのです。
その聖人の行動の一端を垣間見ると、たとえば信徒の南条氏が重病ののち死去しますが、その訃報を受けた聖人は、今日の神奈川県鎌倉から静岡県富士宮まで出向いて、南条家の墓に参詣して法華経・お題目を唱えて回向されています。この死者に対する回向は、同時に遺された未亡人や子どもたちに対する弔慰となり、また激励ともなったと思われます。
のちに身延山へ入山された聖人のもとに、南条氏からは供養の品々が届けられるだけではなく、その子どもたちが聖人のもとを訪れることになります。
あるいは、佐渡流罪に処せられた聖人は、阿仏房夫妻、国府入道夫妻の帰依を受けられますが、厳しい境遇にありながらも、流人としての生活を無事に送られるのは、これらの信徒たちの外護によると思われます。
身延山へ入られた聖人のもとに、90歳の高齢を迎えようとする阿仏房は、国府入道とともにたびたび訪れ、ことに阿仏房は5ヵ年の間に3度まで訪れることになります。
これのことを考えますと、私たち自身は、自己の錬磨はもちろんのこと、慈愛を第一とする生き方を選ばねばならないのではないかと思うのです。
(論説委員・北川前肇)