論説

2014年9月20日号

飽食と飢餓と―ハンガーマップを見て感じたこと―

8億4200万人。これは地球上で飢餓に苦しんでいる人の数である。全人口のおよそ8人にひとりの割合だ。そして飢餓のため年間600万人が死亡しているという。(国連の食料関連3機関発表の「世界の食料不安の現状」報告書による。以下同様)
では、どうして飢餓に苦しむ人がこんなにいるのだろうか。ハンガーマップ(国や地域別に栄養不足の人の割合を示した地図)を見ると発展途上国に多いが、とりわけアフリカに多い。ソマリアは内戦が続き自国を追われた多くの難民が食料不足で苦しんでいる。サハラの南にあるサヘルと呼ばれる広い乾燥地域は砂漠化が進み、干ばつにあったり砂漠バッタがすべての作物を食い尽くしたりで食料に困っている。ガーナ共和国はイギリスの植民地時代からカカオばかりの生産となり、価格の暴落などでモノカルチャー経済のあおりを受けて食料を調達できなくなったという。このようにアフリカは人口が爆発的に増えているのに、食料を自国で賄えない状態が続いている。
ところで、全世界で収穫される主要穀物(小麦・米・トウモロコシ)の生産量は、およそ23億㌧で、これは地球上の全人類が食べる2倍の量だそうだ。では、なぜ飢餓に苦しむ人たちに渡らないのだろうか。一つには、生産された穀物がすべて食用となるのではなく、食用にしているのは46・2㌫で半分以下だからでもある。何に使われているかというと、34㌫およそ8億㌧は豚や牛、鶏など家畜の餌になっている。脂ののった柔らかい肉を作るためだという。そのほか19・3㌫は、トウモロコシはバイオエタノールという燃料に使われるし、甘味料や工業用澱粉に使われる穀物も多い。
ここにもう一つのデータがある。栄養過多のため太りすぎている人が16億人もいるというのである。飢餓に苦しむ人たちのおよそ2倍である。これは先進国側に多い。日本は食料自給率の低い国だが、大多数は飢餓ではなく飽食の側にいる。食べ残して廃棄されてしまう食料や賞味期限切れになって処分されてしまう食品が各家庭や飲食店、食品販売店から毎日大量に出る。それらを肥料にしたり、加工して養殖のエビやタイの餌に利用したりと努力している大手スーパーやホテルの例もあるが、まだまだ十分ではない。今一度、自分の食生活を見直してみることも必要だ。
飽食の側にいる私たちは、飢餓に苦しむ人たちに何ができるだろう。まずは、飢餓の原因を取り除く努力が求められよう。たとえば、干ばつに負けないよう品種改良した米の栽培と農業の技術指導が日本の援助により始まったと聞く。また、発展途上国で作られる物を正しい価格で購入することで、生産者の生活を支援する取り組みとしてフェアトレード商品がある。それらを購入するのも一方法であろう。
この世からなくしたいのは内戦や戦争だ。しかし、これが一番難しい。飢餓を招く大きな要因の一つは戦争にある。自国に限らず他国も含めて人びとの命と暮らしが一番大事だと思うのだが、そうは思わない人が戦争を始めるのだろう。
仏教は慈悲と平等を説いている。世の中の安穏を願っている仏さまのみ心を体して日常の生活をすることである。この世を浄土にすることが仏さまの出世の本懐であると日蓮聖人は仰せになられた。秋のお彼岸を迎えてこのお言葉をかみしめたい。
「いのちに合掌」は、いま日蓮宗の宗門運動のスローガンである。(論説委員・石川浩徳)

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2014年9月10日号

死ぬまで生きる力

この夏、また私たちの記憶に残る痛ましい事件が、長崎県佐世保で起こってしまった。高校1年生の少女が、同級生を殺害し逮捕された。猫の解剖をした経験を持ち、一人暮らしをしていたマンションで友達を殺害。解剖目的で腹を切り開いた。次々と明らかにされていく事実は、残虐で憤りを感じる。
連日テレビのコメンテーターやカウンセラーはこれを分析し、ネットでは、本人のみならず家族、関係者の実名や写真など、個人情報が制限なく流れ、議論の矛先さえも迷走し、軌道修正が効かない状態である。様々なメディアというフィルターを通してモンスター化していく彼女の姿に、日本中の子を持つ親が震撼している。
犠牲者と、その家族や周りの方々の悲痛な思いは、計り知れない。しかし、こんな時こそ社会に秩序と共に成熟した態度を求めたい。というよりもそこを問いたいのである。そんな思いを持ちながら、私が本棚から久しぶりに取り出したのは、『「少年A」この子を生んで』1996年神戸の連続児童殺傷事件の犯人少年A(当時14歳)の両親が綴った手記である。当時この猟奇的な事件の原因として、両親の育て方や責任が厳しく追及された。この手記は、それを言明することが目的ではなく、少年の生きてきた14年の真実を綴っている。少年Aが書いた作文「懲役13年」の中で、自分の中に住んでいるもう一人の存在を、「魔物」と表現している。(以下抜粋)「魔物は、おれの心の中から外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、あたかも熟練された人形師が音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る。人生において最大の敵とは、自分自身なのである。魔物と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう気を付けなければならない。深淵をのぞき込むとき、その深淵もこちらを見つめているのである」と書かれた文章を読んで当時の両親は、少年Aが、自分の犯した罪と不気味なほど冷静な自己分析の落差に「一体この子は何を考えているのか」という思いを募らせていた。
私たち人間は、2つの人格(自我世界)を心の中に持っていることを実感できるであろうか。一つは、自我という本来生まれ持った原始的で動物的な感情と生理的な欲求に基づいた人格である。もう一つは、社会的な存在としての自分が、どう行動すべきかという知性として認識される「規範的自我」「理想的自我」として現れる人格で、第2の自我と呼ばれる。この2つの自我世界を、様々な場面で互いに対話をしながら行動や思考を決めていく実感である。
これは、幼児期に著しく芽生え、思春期を迎えるころに様々な葛藤を経て備わっていく。この両方のバランスが人格に大きく影響する自我世界といわれる。私たちは、無意識にこの両方(者)とやり取りしながら折り合いをつけてやってきた。しかし、今社会では、「家ではいい子、外で暴れる子」という以前は見られなかった子どもの姿が問題となっている。親に気を遣いながら、外で抑えきれない自我を爆発させるといった自我世界の歪みはなぜ起こってしまうのか?
人間社会に大人も子どもも気付きの機会が失われてきているのではないだろうかと思う。ほとけの種は、すべての人間に備わっていると釈尊は法華経に説かれた。そして、その種は、教えを受け取り、教えの実践を通して人が自らの気付きを繰り返し、2つの自我世界を成熟させていくことが必要とされている。なぜならそれは、「死ぬまで生きる力」として、生涯自分を支え、他と共存していくことができる力となるのであるから。
(論説委員・早﨑淳晃)

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2014年9月1日号

第2次世界大戦犠牲者第70回忌

■空前の犠牲者
第2次世界大戦終戦69年の今年は、戦没者の70回忌に当たる。
各山各寺でそれぞれ供養会が営まれているが、私たち一人ひとりもこの国のために尊い命を亡くされた諸霊に、供養の真心を捧げよう。
第2次世界大戦では、世界中で5千万人(同朋出版データ・アトラス)が犠牲になり、日本では3百10万人という空前の人が犠牲になっている。
3百10万人のうち、2百30万人は軍人であり、一般人は80万人であったと報告されている。
軍人の戦没者のほとんどは、国民皆兵制のなかで赤紙1枚で召集され、愛する家族を残して逝った人々であった。
終戦の年の昭和20年3月10日には首都東京への大空襲があり、一夜にして約10万人の人々が亡くなられている。
本土防衛のとりでとなった沖縄戦では、昭和20年4月から約3ヵ月間、激烈な戦闘がくり広げられ、日本軍人9万4千人、沖縄住民9万4千人(外間守善著『沖縄の歴史と文化』)の人々が犠牲になった。
終戦直前の8月6日の広島への原爆投下では、その日のうちに14万人という人々が亡くなられた。
続いて3日後の9日には、長崎への原爆で7万3千人が死亡し、7万4千人が負傷している。
大きな犠牲をはらって、ようやく終戦となった日本は、そのとき悲しみのどん底に沈んでいたことを覚えている。

■戦後70年の平和
広島平和公園の慰霊碑には、「安らかに眠ってください。あやまりはくり返しませぬから」と刻まれている。
戦争は二度とはしまいと誓って、日本人はあの悲しみから立ち上がり、営々として努力して平和国家日本を築き上げてきた。
戦後70年経った今、日本の平和と繁栄を当然のことのように受け止めていていいのだろうか。この日本の繁栄には、平和の礎になったたくさんの人々がいることを決して忘れてはならない。
南太平洋諸島で玉砕して亡くなられたり、シベリア大陸に抑留されて飢えと寒さに耐えられなくて亡くなられたり、原爆などで一瞬のうちに息絶えて逝った人々のことを思うにつけ、平和を謳歌しているだけでなくて、平和への努力を積み重ねていかなければ、申しわけないのではないかと思う。
大戦犠牲者70回忌の節目の今年は、そういう意味で大切な年である。

■立正安国・お題目結縁運動
第70回忌を迎えた今年の広島原爆忌は、原爆忌には雨は降らないというジンクスが破られて43年ぶりに雨となった。
猛烈な台風12号が全国的に雨を降らせ、矢継ぎ早に11号が四国近畿地方を襲った。その被害はまた甚大であった。
「夫れ天地は国の明鏡なり。今此の国に天災地夭あり。知るべし。国主に失あると云う事を。鏡にうかべたればこれを諍うべからず」(『法蓮鈔』)
これは日蓮聖人のお言葉である。今の日本に何の失があるのであろうか。
今私たち日本国民は、これからの国のありようを深く考え、行動していく時であることを示しているように思えてならない。
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」とは『立正安国論』の諫言である。
〝実乗の一善〟とは絶対平和の法華経であり、ご本仏の大慈悲・人類同胞の南無妙法蓮華経である。
天変地異が相続く不気味な現今、日蓮聖人の教えに一心に耳を傾けて、宗門を挙げて「立正安国・お題目結縁運動」に真剣に取り組んでいこう。
(論説委員・功刀貞如)

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    日蓮宗新聞社編
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