論説

2014年7月20日号

琳派(りんぱ)発祥4〇〇年に向けて

本阿弥光悦が、徳川家康から洛北鷹峯の地を賜り琳派の源流と呼ばれる芸術郷を創設してから来年で400年を迎える。
戦国時代の終結にあたり荒廃した京都の町を復興させたのは町衆だった。金工の後藤家、貿易の角倉家、呉服の茶屋家や尾形家、紺灰の佐野家、絵師の狩野家など錚々たる名が挙げられる。その中でもリーダー的存在が本阿弥光悦だった。本阿弥家の家職は刀剣の鑑定(めきき)・磨礪(とぎ)・浄拭(ぬぐい)だったが、光悦は書画・陶芸・蒔絵・螺鈿・作庭など多方面に類い稀な芸術性を発揮した。光悦の書画の料紙装飾を手掛けたのが、同じく琳派の創設者と呼ばれる俵屋宗達だ。群鶴を金銀泥で鮮やかに描いた宗達の下絵に、光悦が墨の濃淡と線の肥痩に変化をつけリズミカルに和歌を書いた。この『鶴図下絵和歌巻』は光悦・宗達の最高のコラボレーションだ。伝統と革新を調和させた光悦・宗達を琳派第一世代とするなら、その100年後の尾形光琳は第二世代だ。老木の白梅と若木の紅梅の間を流れる川を「時の流れ」と意匠した『紅白梅図屏風』は光琳の最高傑作だ。さらに100年後、江戸で第三世代を起こしたのが酒井抱一だ。抱一は宗達以来の伝統的モチーフに独創性を加え江戸琳派を開いた。明治に入り第四世代を開いたのが神坂雪佳だ。代表作『百々世草』は世界の高級ブランド・エルメスも注目した。昭和の琳派と呼ばれたのが文化勲章受章者の加山又造だ。『濤と鶴・壽』では宗達の鶴絵と光琳波を現代的色彩で表現した。後年、水墨画を描いた。その作品が身延山久遠寺大本堂天井の「龍」である。「「色を超えた色」と評価された名画である。
洗練された美意識で時空を超えて芸術界に影響を与えてきた琳派、創設者たちの精神的背景は何だったのだろうか。日蓮聖人の遺命を受け帝都弘通を果たした日像上人は多くの町衆を教化した。他方、当時の日蓮宗には度々迫害が加えられた。天文法難や安土宗論だ。天文法難は町中を焼土と化し、日蓮宗21箇本山も総て灰燼となった。安土宗論では僧侶や信者が斬首された。しかし町衆たちは迫害に屈することなく信仰を貫き、10年後には15箇本山を再建するに至った。この不死鳥のようなエネルギーを持った法華町衆を「強信」と呼んだ。光悦もまた室町時代以来の強信の町衆に生まれた。本阿弥家6代目清信が鍋かぶり日親上人に帰依し本光の名を授けられた。以来、歴代当主には「光」の名がつけられた。光の字は「娑婆即寂光土」に由来する。まさに法華信仰継承の証である。
光悦とともに鷹峯に移住したのは、茶屋四郎次郎や尾形宗伯など同門の町衆や筆屋妙喜などの工匠達だった。移住直後、光悦は一門とともに次々と寺院を建立した。第一は「数百人の所化絶ゆることなし」(本阿弥行状記)と言われた鷹峰檀林旧跡常照寺、第二は母妙秀の菩所妙秀寺、第三は天下の祈祷所知足庵である。当初建立のいはい所は光悦没後、本法寺日慈上人を開山に招き光悦寺となった。「信仰の志ある道心者を集めて昼夜十二時声を絶やさず替る替る法花の首題を唱え奉り」(同・行状記)とあるように鷹峯には昼夜お題目の声が響いた。まさに常唱題目の聖地だった。従来光悦一門により鷹峯に形成された集落は芸術性のみが強調されてきた。しかし、その真相は法華経の説く「娑婆即寂光土」の顕現に他ならなかった。琳派400年に向け琳派の美意識と芸術性を次世代に継承するとともに、琳派の精神的バックボーンが法華信仰にあったことを伝える機会にしてほしい。
(論説委員 奥田正叡)

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2014年7月10日号

国民の宗教感情

静岡県熱海市で、散骨場建設のための土地利用に関する許可申請を業者が出したことに対して住民が反発しているという報道があった。この原稿を書いている時点では墓地埋葬法(以下墓埋法)に抵触するとの判断で市が一度出した許可を取り消したようだ。
墓埋法は墓地や埋葬に関して、その管理と埋葬等が国民の宗教的感情に適合し且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から支障なく行われることを目的とした法律で、昭和23年5月に成立している。
墓埋法第2章第4条には埋葬または焼骨の埋蔵は墓地以外の区域にこれを行ってはならない。と定めているから、山野に遺骨を撒くという行為がそもそも違法ということになる。
墓地に限るということは、地目が墓地でなければならず、付近の住民の賛同がなければ地目の変更も難しいと聞いているからそもそも無理の多い計画ではあった。
今回の住民の反対は非日常的な散骨場が、居住する地域の近くに設置されることへの反発であり、至極当然のことと思える。たとえ身近な親族の墓でも居間や食堂の近くにあるものではない。他人の、しかも粉状にしたものを散骨するというのは受け入れがたいだろう。
しかし、宗教者としての立場から見ると、法律の解釈云々では済まされない大きな問題がそこに潜んでいる。
寺の門前にあるマンションの一室に住んでおられる老齢のご婦人が訪ねてこられた。ご主人が亡くなったのだが、供養して欲しいとのことであった。聞けばご主人は早くから無宗教で、葬儀もせず、もちろん戒名もないまま火葬のみ済ませたのこと。七月には清水港から出る船に乗り駿河湾内で粉状の遺骨を散骨するということであった。
ご主人は90歳でなくなられたのだが、以前は近くの公立小学校の校長までお勤めになった方で、お元気な時にはかくしゃくとした知的な方であった。
そのご主人が若いときから無宗教であったという理由が、墓があると子どもたちに負担をかけるからだというのには驚いた。
金銭的な理由が、心の拠り所ともなり得る宗教と、それによる供養までも否定してしまったというのだ。
若い人たちのように、ひとつのブームに乗ってというのではない。深くお考えになった末の決断だったのだろう。
熱海での散骨がどう推移してゆくか気になっていたところへ入ってきたこの情報は、私のみならず、僧侶全体に問いかけられた課題であると思える。
違法だから広まりはしないなどと構えている余裕はない。昭和23年に施行された法律に言う「国民の宗教的感情」が現代にそぐわないと判断されたとき、一定の条件下での散骨が合法化され、寺から墓地がなくなる時代が来るかもしれない。その時私たちは、供養しているのは遺骨ではなくそれを使って一生を生き抜いた故人の魂なのだとはっきり言えるだろうか。
霊の存在すら認めない僧侶が増えているなかで、魂の供養は私たちにしかできないのだと明言できるだろうか。
『おまえたちは修行完成者の遺骨の供養にかかずらうな。どうかおまえたちは正しい目的のために努力せよ』
釈尊がアーナンダに遺したとされるこのお言葉は何を意味しているのか。正しい目的とは何を指すのか、ゆっくり考えなければならないときが来ている。
国民の宗教的感情に大きな影響を及ぼすことのできる日蓮宗でありたい。
(論説委員・伊藤佳通)

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2014年7月1日号

『立正安国論』をみつめなおして

私は昭和15年2月20日、父・星日肇上人が新寺建立した仙台市の本國寺で生まれました。小学校2年生の2学期の時、父が縁あって今の埼玉県川越市本応寺の住職に就任し、両親と男3人兄弟、一家5人で川越に移りました。
ですから母(れん)も仙台の八幡町で生まれ、父も宮城県の岩沼の安国寺で生まれました。みんな東北人で仙台に帰りますととても懐かしく、安らいだ気持ちにさせられます。「故郷」は誰にとっても格別の土地に違いありません。
■大震災
その故郷の東北が、平成23年(2011)3月11日、地震と津波で大きな被害をこうむりました。
こういう言い方はいけませんが、幸い仙台の本國寺、岩沼の安国寺は海より奥の離れた地にあったため被災を免れました。しかし岩沼の海辺近くの寺院は本堂はもとより墓石も海に持って行かれてしまい、お盆のTVニュースでは、お墓の台石の上にお花やお線香を供えてお詣りしている姿が報道されました。
親戚の内、宮城県亘理郡山元町に住む私の母の「いとこ」たちの家は津波で流失しました。今もって行方不明の人たち。玄関の床下の土砂の中で亡くなっていて見つけだされた者。水しぶきを背にあびながら高台に逃げて助かったが、全身打撲で数日後に死亡した者など、忘れられない大変な被災でした。海抜ゼロの仙台の荒浜は昨年立ち寄った時も、まだ何もないただ一面の「野っぱら」になっていました。再建計画も難しい側面が多くあると聞かされました。
■再建
再建には「国・政府」と「地方自治体」と「住民」との三者一体となっての(日蓮聖人の〝異体同心〟の教え、身体は個々別々であっても心は同じ一つの気持ちになって)の取り組み推進がもっとも大切なことですが、さまざまな困難が伴っていることも指摘されています。
「話しあい。話しあい。そして話しあい~」と話しあいを何回も重ねて解決への道をさぐって歩みを進めていると、住民の重い口からの言葉を聞きました。もう帰ることもできず、家も建てることもできないが、ふるさとなので記録のために何か残したいんだという切実な声も耳にしました。1日も早い復興を願わずにはいられません。
■信仰の寸心を改める
鎌倉時代の天変地夭による被害も数多く記録されています。
日蓮聖人が鎌倉で教えを説きはじめられたころの「正嘉の大地震」は、聖人ご自身鎌倉にあって実際に体験され、「牛馬巷にたおれ、骸骨路に充てり」ではじまる『立正安国論』をご執筆(1260年)。時の実力者・北条時頼に「汝早く信仰の寸心を改めて実乗の一善に帰せよ」と、北条執権政治の根本的な「施政の心の在り方」を命がけで進言しつづけました。
■立正安国
「立正安国」(正法を立てて国を安んずる)は日蓮聖人の生涯の叫びでした。「一念三千は情、非情にわたる」(『観心本尊抄』)。個人の成仏はもちろん、草木国土、自然の成仏とともにあるのが、私たち人間の根本的な在り方と『法華経』(正法)は私たちに教え、私たちを導きます。
大震災という大きな自然からの「教え」に心から耳をかたむけ、「立正安国」をめざした「人づくり」「国づくり」をそれぞれの場でめざしていきたいものです。
(論説委員・星光喩)

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    中尾堯著
    日蓮宗新聞社
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  • 日蓮聖人―その生涯と教え―

    日蓮宗新聞社編
    日蓮宗新聞社
    定価 826円+税

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