ひとくち説法
2014年6月20日号
諸(衆)善奉行
先日、一般企業内の研究職の方と話をする機会があった。電器関係の企業で仕事をされている。30数年間勤務されているが、仕事が面白く定年後も引き続き勤められているそうだ。
会話のなかで興味深いことを言われた。「不特定多数の人のためにならない研究は、すでに研究ではない」ということだった。ただ自分の興味だけでとか、有名になることのみを目的にすると、よい結果につながらないことも多いらしい。「基本理念が大切です」といわれた。
私はそれを聞いて、七仏通戒偈の一節「諸(衆)善奉行」が心に浮かんだ。
昨今、色々な事件事故に驚かされることが多い。事件を起こした人たちは、自身の心の奥底で何を思っていたのだろう。
釈尊をはじめ過去七仏が持たれたという聖語「諸悪莫作 諸(衆)善奉行」は仏道の基本であるが、我々は忘れてしまってはいないだろうか。
(広島県布教師会長・難波典基)
2014年6月10日号
祖師(そし)の利生(りしょう)は日々に
岡山に伝わっている法華和讃に「祖師の利生は 日々にまします…」とあります。「利生って?」と質問を受けました。辞書には「仏が衆生を救済し、利益を与えること」とあります。祖師の日蓮聖人の不思議な力に日々見守られている私たちなのですよ…と言われています。お釈迦さまの教えが遠くなってしまった「末法」と言われる今にこそ、法華経の教えが大切と、命を惜しまず弘教された日蓮聖人。その「利生」が今も私たちに…と、素直に受け止めて詠われてきたのですね。
怪我や病気、家族最愛の人との別れなど絶望の底にある時、仏さまからの言葉は言葉以上の力を持って私たちに迫ってきます。「ああ助けていただいた」と思える言葉は、苦難あればこそです。護っていただいた暖かい心を感じ、その思いを深めましょう。
「祖師の利生は日々にまします…」と詠われた先人に続きうる生き方を求めたいことです。
(岡山県布教師会長・平野光照)
2014年6月1日号
心澄めば、善悪が…
昔、あるところに、と始まる日本昔話。そのなかに「花咲じいさん」がある。正直おじいさん夫婦が、可愛がっていた犬が畑で吠えていた。掘ってみると、なんと小判がザクザクとでてきた。その様子をみていた、となりの欲深いおじいさんが、犬を借りて畑に行き、掘ることになった。しかし、いくら掘っても汚いごみばかりでした。
おなじみのお話です。なぜ、こんな違いがおきたのでしょうか。そして、掘った犬のいのちが奪われてしまう結果になったのでしょう。自分の心のあり方に気づいていないのでしょうね。
現代社会を見渡すと、なんと理不尽なことが多いではありませんか。自分中心に行動し、結果が悪ければ他人のせいにすることが目立ちます。自分を映す鏡があればいいのですが。
あります。合掌し、お題目を唱えてみましょう。心澄めば、物事の善悪がはっきりと映し出されます。 諸善奉行 自浄其意 合掌
(兵庫北部布教師会長・松村貫昌)