2014年6月20日
庭の手入れをしながら考えた。
庭の手入れをしながら考えた。雑草と分かるものは考えるまでもなく抜き取る▼ところが種が飛んできたのか、中にはちょっと残しておきたいと思うものもある。ミズヒキグサなど、秋に咲く小さな花は中々風情のあるものだ。また庭の隅にあったアヤメが増えてきたけど、これも抜き取るには忍びない▼そんなこんなで残していくと、空きのない、いわば草だらけの庭になってしまう。これではもはや庭とは呼べない▼庭作りにはまるっきり素人の筆者だが、雑然と何もかも生やしては、仏の棲み給う清浄な場、そして仏に面奉する場としての緊張感が失われる。何を残し育てるのか、何を捨てるのかがポイントになると考える▼こうしてみると、名園といわれるものには、それぞれ作庭の意図、一本通った哲学があることに気付く。これは人生にも当てはまるものであろう。したいこと理想とするものは沢山ある。しかしその全てを満たそうとすれば、雑木雑草のはびこる荒れた庭となってしまいかねない▼仏教を究めて仏になり、恩ある人を助けたい。そのためには身命をも棄てる覚悟である、と言いきる宗祖のご生涯は真に明解だ▼何のためにこの生命を生きるのか。今一度、過ぎにし半生とこれからの将来を見据えて、育て活かすべきものが何かを見極め、それを活かすことにより明解なそして緊張感あふれる人生を織りなしていきたい。(直)