2014年5月14日
木更津市感応寺 木原光城師本葬儀
【千葉西】木原光城師(木更津市感応寺第22世。北海道札幌市顕本寺第4世)平成26年2月7日遷化。世寿89歳。法号は光城院日寛上人。5月14日、渡邉義生師(千葉市花見川区 長胤寺)を導師に本葬儀が営まれた。? 木原師は大正15年生まれ。昭和21年2月3日、師父顕本寺第3世文静院日理上人のもと出家得度。国立北海道大学予科農類入学。昭和24年同大学農学部農芸化学科へ進学。卒業後は農学士として北海道大学農学部農芸化学科教室勤務。昭和28年師父の遷化に伴い、顕本寺住職に就任。札幌市仏教会第3地区長に就任。学業研究の志高くして、学問を追求せんと東京に進出。昭和33年、立正大学一般教育助手として自然科学研究室に勤務。翌昭和34年、立正大学文学部講師として教壇に立つ。同年、顕本寺を退任し、木更津市感応寺の法燈を継承。
木原師の事跡は目を見張るものがあり、昭和36年、厚生省予防衛生研究所一般検定部無菌試験室に勤務され、細菌学ワクチンを専門に研究。主任研究官、無菌試験室長、を歴任し、昭和57年医学博士を修得。昭和59年生物学製剤管理部無菌試験室長を務め、昭和62年4月退職。その後も同研究所客員研究員及び東邦大学医学部非常勤講師として後任の指導に精励。
学会においては、日本マイコプラズマ学会監事。日本細菌学会関東支部評議員。日本マイコプラズマ学会理事。バイオメディカルサイエンス研究会学術運営委員長、編集長、国際協力関連分野長。日本マイコプラズマ学会総会長。バイオメディカルサイエンス研究会幹事長。「エイズと日和見感染に関する国際シンポジウム事務局長等々を歴任。
学術活動では、日本のみならず、世界各国で講演活動。世界の生物学関係の第一線にて評価を得られる。
またJICAより専門家として東南アジア各国にも派遣され、研究者としての功績は後世の光として輝くほどのものである。
感応寺では、庫裡書院の新築。墓地の整備。伽藍の整備荘厳に尽力。
平成24年6月、老齢の為、後事を山口寿光師に法燈を継承。法籠68年。寺門の繁栄と医学博士として細菌学等の分野において世界貢献をなさったご一生であった。