鬼面仏心
2014年3月1日号
「寺に生まれ、僧侶に
「寺に生まれ、僧侶になったが、〝出家〟と呼ばれると、なんだか恥ずかしい。僧侶になることを期待され、後継ぎとして僧侶になったとしたら、それは家を出たのではなくて、家に縛り付けられた存在でしかない」若手の僧侶に、真正面から心情を吐露され、自分自身の生きてきた道を振り返ったことがあった。自分にも同じような悩みはあった筈だ。どのようにして乗り越えてきたのだろう▼一つには「寺」という現実的存在と、仏を信じることで得られる精神的自由さの折り合いが付けられたことだ。さらに意識と無意識、本音と建前、表と裏、舞台と楽屋、僧侶の立場でいうと、宗教的理想社会(浄土)と現実のギャップ、こうした二項対立を、人は皆抱えて生きていると感じた時、その橋渡しをするのが、僧侶と一般との間を行ったり来たりしている自分の役まわりかなと思えてきたからだ▼「言葉は生きる支えになる」自分は布教師になろう。言葉が人の心に届きにくい現代に、敢えて言葉の伝道師になろうと思ったのだ。▼型を重んじる伝統的歌舞伎の世界に、スピード感あふれるスーパー歌舞伎というジャンルを打ち立てた二代目市川猿翁は「夢みる力」という言葉を好む。たとえ叶わぬ夢であっても挑戦し続ける、それが生きる力となる。日蓮聖人こそは、とてつもない「夢みる力」を持った方ではないかと信じている。そうでないと全人類の平穏な生活を祈ることはできないからだ。(雅)