2014年3月10日
東日本大震災「大川小検証委」
2011年3月11日の東日本大震災で全校児童108人のうち70人が津波で死亡。4人が行方不明となった。校長は休暇で不在。校内にいた教職員11人中10人が犠牲となった。
自身から津波襲来まで約50分あったのに、なぜ逃げ遅れたのか。宮城県石巻市の大川小学校の惨事について、有識者10人による「検証委員会」が去る1月19日、「最終報告書案」を発表した。
それによると、地震発生後、校庭に出ていた教職員と児童は午後3時33分~34分ごろ、校舎のそばを流れる北上川の橋のたもと(三角地帯)へ避難を決起。移動を始めた直後に津波にのまれた。
検証委は①「避難の意思決定の時期が遅かったこと」。②「避難先として河川堤防に近い三角地帯を選択したことが最大の直接的な要因」と結論づけ、③「大学の教職課程で防災教育を必修とするよう」とも提言した。
地震から津波までは約50分。校舎裏には小高い山があり、学校前にはスクールバスも待機していたが、避難には使われなかった。同小の災害時のマニュアルの不備も明らかになり、市教委が指導しなかったことが背景にあるとも指摘された。
まもなく震災より丸3ヵ年。去る1月19日、石巻市でも検証委「第9会会合」でも遺族の最も知りたい内容「なぜ約50分間校庭にとどまり続けたのか」の疑問は「明らかにされなかった」ため、不満と落胆の声があふれたという。
私も昨年、現地を訪問したが小学校児童の未曾有の惨事を二度と繰り返さないために、真相の究明は大切と思わせられた。
(論説委員・星光喩)