2013年12月1日
本末究竟等と言うから順番はないのだろう
本末究竟等と言うから順番はないのだろうけれど十如是の最初は「相」八正道は「正見」五蘊も「色」から始まる。そうか、見て知ることが全ての始まりなのに違いない。見る、知る量が多いほど、その後の生き方に幅と奥行きも出るというわけだ▼情報伝達の方法が増えた現代ではいろいろなことを知る機会も多い。思慮深く生きられるようになり、善悪の基準もかなり高いところにあって、それぞれが意義深い人生を楽しんでいるはず▼それにしては、非常識な人間が多いと思いませんか。誰だって最終的には自分の基準で行動しているけれど、それは社会のルールに則った上での話。それがわからないというのは、情報収集能力に問題があった。世の中をよく見ていないということだろう▼特に若い時の過ごし方に問題があるのではと常々思う。「十五にして学に志し、四十にして惑わず、六十にして耳順う」は論語だが、「学」は机上の勉強だけではないぞと若者たちに言いたい。情報収集も「学」の内▼若いときには鋭い感覚で情報をかき集め、その中から本当に大切なものを選択し、その部分について研鑽を重ねて晩年は人生を落ちついて過ごすという生き方をしたいと願っていたが、六十を過ぎてなお情報収集に余念がない。時間配分を間違えたか。今生は時間が足りなくなったが、つまらない生き方をするより良いかと納得。 (寮)