論説

2013年11月20日号

和敬清寂とおもてなし

茶聖と仰がれる千利休が完成させたわび茶は、芸術性は勿論、宗教性・哲学性・道徳性・社交性・修養性を持った総合文化体系です。利休は躙口や窓の採用など独自の意匠で草庵茶室を作り、楽茶碗など多くの茶道具を造形しました。茶室を「清浄な仏国土」、茶庭を仏国土へ向かうために煩悩を祓う空間と捉え、「もてなしの空間」と考えました。それまで単に通路だった茶庭は、心が清浄な露となる意味から「露地」と呼ばれました。毎年京都建仁寺で行われる「布薩会」(自己の罪過を懺悔する儀式)では、式衆が本堂に入る前に「降伏魔力怨 除結尽無餘 露地撃●(牛に建)稚…」(総ての煩悩を除き尽くし心身を整えて露地に集合の鐘を打つ)と唱えます。これは「露地偈」と呼ばれる戒文ですが、露地という言葉の出典は法華経譬喩品第三です。
譬喩品の「三車火宅譬」の経説には「是の時に長者諸子等の安穏に出ずることを得て、皆四衢道の中の露地に於いて座して復障礙無きを見て其の心泰然として歓喜踊躍す」とあります。火災(煩悩)に包まれた長者の邸宅(現実社会)から子供達(衆生)を救うため長者(仏)は方便で羊車、鹿車、牛車の三車を使い救出しました。皆が座った往来の露地には災禍(煩悩)が無く安心し喜び踊ったという経説です。露地は煩悩のない、安心できる場所という意味です。
ところで茶道精神を凝縮し、もてなしの心を表す言葉に「和・敬・清・寂」があります。
「和」とは、亭主と客が互いの人格を尊重した時に得られる異体同心の信頼感、一切の差別を超えた平等観のことです。法華経提婆達多品第十二には「志意和雅にして能く菩提に至れり」とあります。心が和やかで周囲と調和があれば、菩提に至れるという経説です。つまり「志意和雅」とは、私心我執のない相手を思いやる心です。
「敬」とは、自己に対しては「つつしむ」と読み、敬譲を意味します。他人に対しては「うやまう」と読み、崇敬を意味します。「自らつつしみ、他を敬う」という互敬の意味です。法華経では、常不軽菩薩の「深敬精神」と通じます。常不軽菩薩は老若男女、貴賤上下を選ばず総ての人に「私はあなた方を深く敬います」と合掌しました。石を投げられても「あなた方は仏様ですから」と言って合掌礼拝を続けました。自分の仏性に目覚めたからこそ、仏性を持つ総ての人々を礼拝せずにいられなかったのです。敬いのこころで総ての「いのちを合掌」したのです。
「清」とは、清潔にすることです。利休は「茶湯の本意は六根を清くする為なり」と教えています。茶会では初めに露地の蹲踞で手や口を清め席入りします。茶室では床の掛物や花を見て亭主の趣向を理解します。耳を澄ませば松風(湯音)が聴こえ、炉からほんのりと香りが聞こえます。お菓子に続きお茶を頂きます。亭主のもてなしに眼・耳・鼻・舌・身の五根が清められ、やがて心を含めた六根が清浄になります。
「寂」とは「わび・さび」で表現されます。「わび」とは、不完全なことに起因する質素さや簡素さに美意識を感じ取ることです。「さび」とは、移りゆく変化や古びた趣に美意識を感じ取ることです。「綺麗さび」と表現されることもあります。華やかさの中にある老熟した趣のことです。また「寂」はどんな場合でも動じない「幽玄閑寂な境地」とも表現されます。
先日、滝川クリステルさんがオリンピックのプレゼンテーションで「お・も・て・な・し」と表現した場面が話題になりました。その中で「おもてなしには、訪れる人を心から愛しみお迎えするという深い意味があります。それは先祖代々受け継がれてきたものです。おもてなしの心があるからこそ、日本人がこれほどまでに互いを思いやり客人に心配ばりをするのです」と話し、最後にさりげなく合掌した姿が印象的でした。
「和敬清寂」や「おもてなし」のこころは、日本人が代々培ってきた洗練された美意識に基づいた精神文化です。国際社会の中で、日本人一人ひとりの価値観や行動が問われている今日、この素晴らしい日本の美徳を広く伝えていくことが世界の平和に繋がることだと思うのです。(論説委員・奥田正叡)

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2013年11月10日号

個性を尊重し、互いに補い合う社会

先頃、全国の小学校六年生が参加する学力テストが実施され結果が公表された。このテストは教育関係者の間では国民体育大会の様相を呈していて都道府県単位で成績を争っているらしい。らしいというのは今回の結果、国語Aというカテゴリーで私の住む静岡県が最下位だったというので地元のマスコミが大騒ぎして知ったに過ぎないからだ。
最近では運動会の徒競走で順位をつけないという学校もあるというが、子どもたちを育てる気概に欠けているのではないかと感じている。どんな競争も一位がいれば最下位がいるのは当然だ。どうしたら一位になれるのか、なぜ最下位だったのかを学ぶ良い機会である。それが努力につながればこれに勝る教育はない。努力した人が良い成績をおさめるのは何の分野でも至極当然である。
その努力を促すための順位発表であろうに静岡県の対応は異例だった。下位何校かの校長名を公表するなどと知事が息巻いた。そこにはメンツだけがあって子どもたちの学校での成績が人生にどれほどの意味があるかについての論議はないようだ。
最下位という結果は努力のチャンスだというくらいの度量がなかったのか。
学校での成績は良いに越したことはない。知識が多くなり、それを使う能力も磨かれるから社会の一員として生きることの価値観を身につける事ができるようになる。
更には、努力することで、その結果から自分の得手不得手を知ることもできる。どんなにがんばっても良い結果が得られない運動や教科もある。脳の機能や運動能力には個性がある。誰もが同じ条件を持っているわけではない。
それをお互いに補い合うのが社会だと気づくこともできる。
六〇兆といわれる、人間を形成する細胞のひとつひとつが、全て同じ能力を持ち、同じ仕事をしているわけではないように、人間もまた社会の細胞の一つとしてそれぞれが様々な部分を担当していると気づく。脳細胞は大切だが、堅いだけが自慢の足裏の細胞がなければ学校に通うことはできない。
小学生たちは自らの能力を最大限に高める努力をしているが、だれもが脳細胞になれるわけでも、なる必要もない。
テストの成績が最下位だからといってメンツを失うというのであれば、足裏の細胞は恥ずかしい存在なのか。全てを支える足の裏になるという人生も悪くないと教える教育があってもいい。
孫が通う私学の小学校は県内で最高の成績だったという。これには教員も児童も喜んだ。地元のテレビ局の取材などもあって、もてはやされもした。ところが、それに気をよくしたのか能力別クラス編成を始めそうな気配があると聞いた。それはどうだろうか。まだ絶対的な能力が確定していない小学生を、成績で区別するというのは道が外れていないだろうか。義務教育はだれにも平等な勉学の機会を与えなければ意味がない。その土俵の上でどんな鍛錬をし、どんな価値観を身につけるかは彼ら次第だ。
有名になりたいと自己主張をする一部の若者たちが最近急増している。彼らには、ステージの上でスポットライトを浴びている有名な人たちだけが大切なのではないことを教えるべきだった。華やかな照明に使われている電気が、発電所から会場に届くまでにどれほどの人たちの手を経ているのか。危険な環境で働く見知らぬ人たちこそが、世の中の主役なのだと。
(論説委員・伊藤佳通)

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2013年11月1日号

式年遷宮の心

伊勢神宮は全国の神社を包括する神社本庁の本宗で、正式名称は単に「神宮」(じんぐう)と呼ばれ、三重県伊勢市にあります。
中心となるのが皇室の祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る皇大神宮(内宮・ないぐう)と、衣食住の神である豊受大神(とようけのおおかみ)を祭る豊受大神宮(外宮・げぐう)で、両宮とも同じ大きさの敷地が東西に並び、式年遷宮(しきねんせんぐう)といって定期的に20年ごとに神様が引っ越す行事が去る10月2日に行われました。遷宮のたびにどちらかに新たな社殿が建てられ、古い方は解体されます。
八咫鏡(やたのかがみ)は天照大神のご神体で、国中をくまなく照らすとされ、八坂(尺)瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)とともに三種の神器と呼ばれています。
神宮(内宮)が伊勢に創祀されたのは、『日本書紀』などによると、垂仁(すいにん)天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が三種の神器のうち最も重要な「八咫鏡」を伊勢に祀ったのが始まりとされ、天皇家の信仰が篤かったが、中世以降は全国に伊勢信仰を広める「御師」(おんし)が活躍、特に江戸時代に入ると「お伊勢参り」はブームとなり「おかげ参り」として、とりわけ宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)には、それぞれ300万前後の人々が参宮しているといいます。動機はいろいろと考えられますが、深層には日本人の総氏神と仰がれるようになった大神宮(お伊勢さん)の「おかげ(ご加護)」に感謝し、さらなる「おかげ」を祈願したいという素朴な信仰があったといわれています。一生に一度は必ず「お伊勢参り」をしたいというのが庶民の願望でありました。
10月2日夜、「カケーコー、カケーコー、カケーコー」という神職の「鶏鳴(けいめい)三声」の声が響いて、クライマックスの「内宮」の式年遷宮、新しい社殿にご神体を移す「遷御(せんぎょ)の儀」が始まりました。臨時祭主の黒田清子さんを先頭に神職約150人が束帯、衣冠の古式の装束で、絹の幕に覆われたご神体が新しい社殿に入られた。木靴の石段をコツコツと刻む音、楽師が奏でる雅楽のひびき。テレビの参拝でしたが、そのおごそかな神事は胸にひびくものがありました。
僧侶の西行法師は、伊勢神宮に参拝して、あの有名な句、
「何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
と詠まれました。「かたじけなさ」とは、20年に一度の「式年遷宮」を繰り返しつつ、その姿を太古の形式のまま保ってきた神宮の神々しさに感きわまり、思わず涙し頭を垂れました。
生まれ変わり、生まれ変わりしながら、太古の姿を未来へと伝える。常に清浄にすることで神々の生命をよみがえらえせる営み。
世界的建築家ブルーノ・タウトは著書『ニッポン』で、伊勢神宮については「日本が世界に贈った総てのものの源泉」と称賛し、伊勢神宮を日本の稲作文化の象徴と見て「社殿は農家を想起せしめ、日本の国土から土壌から生い立った」ものと見、式年遷宮については「何という崇高な、全く独特な考え方が現れていることであろう」と感嘆の目を向けたといいいます。
日蓮聖人はご本尊「大曼荼羅」中に、日本の国神「天照大神」を勧請されました。天照大神が万物を照らし、「明き清き直き心」という仏教と共通の「魂」を持って人々を導かれたと確信されたからに違いありません。
(論説委員・星光喩)

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新年のご挨拶。

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