オピニオン
2013年11月20日
熟練の読誦練習
学習の「学」は真似ること、「習」は馴れるが始まりといわれます。信仰の場合、ただ馴れて習慣になっても正しくなかったら意味を成しません。慣れるでなく「熟練」の「熟れ」でなければならない。それには師について正しく真似る、良く耳を傾け良く聴き、「凝視」し良く観る、正しく読誦し、唱えないといけない。
「南無妙法蓮華経」のお題目は「ナム、ミョウホウレンゲキョウ」と七字をハッキリ唱え、「ナンミョウ・ホーレンゲイキョー」ではありません。また開経偈の「無上甚深微妙の法は」では「ムジョウジンジンミミョウのホウは」で、「ムジョウのホウ」でも「ムミョウのホウ」でもありません。宝塔偈「此経難持・若暫持者」は「シキョウナンジ・ニャクザンジシャ」で「シキョウナンジ・ナクナンジシャ」ではありません。
指導を正しく、教わる方は、良く聴き熟練の学習を!
(新潟西部布教師会長・中嶋 教高)