2013年11月20日号
小松原法難750年にあたって
三大寺 聡温師(日蓮宗常任布教師・愛知県妙感寺住職)
日蓮聖人が遭われた小松原法難から750年を迎えます。わたしたちは結果を知った上で法難をとらえがちです。つまり結局助かることを知った上で法難を見てしまいます。けれども日蓮聖人の立場に立てばその瞬間瞬間が、絶体絶命の時だったのです。小松原法難であれば、聖人の盾となって亡くなった弟子もいます。その折の聖人のお心持ちはいかばかりだったでしょう。
日蓮聖人の立場に立って…、ということを改めて気づかせてくれたのは月命日の棚経で訪れる檀家のおばあさんでした。日蓮聖人は小松原法難で額に刀傷を負われました。寒くなると傷が痛むことから祖師像にはお会式から春のお彼岸を目安に綿帽子をかぶせます。そのおばあさんの家にお経をあげに訪れたのは5月。まだ綿帽子を被せたままだったので仕舞い忘れているのかと思い声を掛けました。するとおばあさんは「一度はずしたけど、ここにきて寒し日が続いたんでまた被せました」とのことです。祖師の立場に立った給仕のあり方を改めて考えさせられた次第です。
さて日蓮聖人は数知れぬ法難をくぐり抜けながら61歳で生涯を終えます。人のいのちは無常なものであると日蓮聖人が『妙法尼御前御返事』で述べられています。平均寿命が80歳を超える世になっても、40歳の人の余命があと40年あるという保証にはならないのです。ですからみなさんは明日死ぬかもしれません。このことを時間を少しずらして考えてみるとこうなります。「昨日死んでいてもおかしくないいのちだった」。それは「幸いにして今日を生きることができる」と考えることができます。「おかげさまで目が覚めました。今日一日を無駄にすることなく大切に生きさせていただきます」。朝夕のお勤めに際してはこんな感謝の心で手を合わせていきたいものです。わたしたちは生きているのが当たり前と思いがちです。ですから生きているその先にある死と考えてしまいます。生から死を見ているのですが、そうではなく逆に死から生を考えてみてはどうでしょう。必ずいつか死ぬのならば、それまでどう生きるか。どういう態度で死を迎えるか。これは『妙法尼御前御返事』で日蓮聖人がお述べになっている「さればまず臨終の事を習うて後に他事を習うべし…」に通じます。日蓮聖人は、「人は必ず死ぬのだから死ぬことを起点にして生きることを考えろ」とおっしゃているのではないでしょうか。
ある先輩僧侶が悪性の腫瘍で闘病生活を送っていました。まさに死と向き合っていました。そんななか、自身の病の平癒を祈るだけでなく、同じ病棟にいる人への祈りの大切さ、功徳を積むことの大切さを改めて感じたそうです。そして毎朝、朝日に向かって自分だけのためでない祈りをしたと語っていました。これがお題目修行の真の姿なのです。
生老病死という四苦をどう受け止めて人生を考えるのか。これはお釈迦さまがわたしたちに出した宿題でもあります。そのヒントとしてお釈迦さまは「さまざまな苦から逃れられないこの娑婆に、修行をするために望んで生まれてきたことに気づきなさい」とおっしゃっています。お題目を唱えればすべてうまくいくのか? 生老病死の苦からのがれられるのか? そんなことはありません。わたしたちの生きるこの場は矛盾だらけの娑婆なのです。その娑婆での修行の尊さを感じたとき、この世界がお釈迦さまに見守られている浄土であることに気づきます。そしてお釈迦さまのいのちのなかに生かされている自分のいのちを自覚したとき、人は信の救いを得られるのです。日蓮聖人は『開目抄』で「どんな法難がこようとも、お釈迦さまのことを疑ってはならぬ。なにがあっても信じ続けよ」と述べられています。この言葉を胆に銘じてお題目修行に励んでいきたいものです。